ハプスブルク家 皇帝の好物2~皇妃エリザベートはダイエットの先駆者
7.マリア・テレジア(1740-1780) オリオ・スープ 女帝マリア・テレジアの夫であるトスカーナ公フランツ・シュテファン・ロートリンゲンは、ハプスブルク家にフランス料理人を連れてきた。ここからウィーン宮廷の料理がフラ … 続きを読む
7.マリア・テレジア(1740-1780) オリオ・スープ 女帝マリア・テレジアの夫であるトスカーナ公フランツ・シュテファン・ロートリンゲンは、ハプスブルク家にフランス料理人を連れてきた。ここからウィーン宮廷の料理がフラ … 続きを読む
ハプスブルク家は政略結婚で繁栄した 1273年にルドルフ1世がドイツ王に選出されたことで、ハプスブルク家は始まりました。ドイツ王は神聖ローマ帝国の統治を兼任し、代々、ハプスブルク家はヨーロッパの覇者として君臨します。 ハ … 続きを読む
勝利と敗北 普仏戦争はプロイセンの圧倒的勝利で終わりました。ドイツの3割はバイエルン軍が占めており、大勝利に国中が歓喜します。しかし、ルートヴィヒだけは沈鬱なまま、バイエルン国の行く末を案じていました。 ドイツ統一を承服 … 続きを読む
不幸な婚約劇 婚約者ゾフィと姉シシ シシ――オーストリア皇后エリザベートの愛称――は、ヴィッテルスバッハ家の出であり、曽祖父がルートヴィヒと同じでした。父はバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフ、母はルートヴィヒ1世の妹ル … 続きを読む
新王の即位 1864年3月ルートヴィヒはバイエルン王ルートヴィヒ2世として即位します。長身で黒髪の美しい軍服姿の青年王に、国中だけでなくヨーロッパ中が沸き立ちます。若い王にみな、期待し、熱狂します。 しかしルートヴィヒ自 … 続きを読む
狂王と呼ばれた、謎多きバイエルン王 ルートヴィヒ2世は、世間から「狂王」と呼ばれていたほど、風変わりな人物でした。青年時代、美しかった王はワーグナーに傾倒し、副官の青年貴族に恋します。晩年は政務ができないほど精神に異常を … 続きを読む
植村氏、抑留の日々~2 日本名誉領事の変貌 9月のドイツはすでに秋が始まっていました。 同房していたベルトラントは両親の助力で釈放され、つぎは隣室だったフランス人ゲイヤールと一緒になります。彼は軍籍にあったため、本国から … 続きを読む
第一次世界大戦のドイツと日本人 日露戦争でロシアと戦い勝利した日本を、当時のドイツは好意的に思っていました。ドイツとロシアは敵対国だったからです。 第一次世界大戦勃発当時は日本人だけでなく、ヨーロッパ――ドイツの人々も戦 … 続きを読む
❡ フリードリヒ大王の評価いろいろ 礼儀作法を冷笑 たとえばフリードリヒ二世はヴェルサイユ宮廷の礼儀作法について説明を受けたとき、これを大いに笑ったというし、 フランスでもルイ15世、ルイ16世をはじめとし … 続きを読む
❡ フリードリヒと女性 ヴィルヘルミーネ フリードリヒ大王と最も仲が良かった姉。リュートの演奏をし、文学的影響を弟に与えた。 ブランデンブルク=バイロイト辺境伯に嫁ぐも、夫の不貞に悩み、愛人を外国人と結婚さ … 続きを読む