フリードリヒ大王6~その他

❡ フリードリヒ大王の評価いろいろ

礼儀作法を冷笑

たとえばフリードリヒ二世はヴェルサイユ宮廷の礼儀作法について説明を受けたとき、これを大いに笑ったというし、
フランスでもルイ15世、ルイ16世をはじめとして、のちの王族たちはこうした礼儀作法をじつは嫌っており、もっと親密な身内との語らい、こぢんまりした離宮での生活を好んでいたという。

引用元:宮廷文化と民衆文化 (世界史リブレット)

フランスの絶対王政では、宮廷作法がシステムに組み込まれていたため、王といえども廃止できなかったという、大国ならではのエピソード。
それだけプロイセンが若い大国だともいえる。

図はサンスーシー宮での食事会 。ヴォルテール等の文化人を招いて語らうのが大王の楽しみの一つだった。ただし女性は招かれなかった。

大絶賛!

しかし何と言ってもフリートリッヒをしてフリートリッヒたらしめたのは、制限戦争時代に戦闘を恐れぬ稀有の指揮官であったことである。
……中略……いつでも戦闘する気であり、戦闘は戦争を決定する決定的要因であることを率直に認めていた。そして、つねに自ら突進することに躊躇しなかった。
七年にわたって16回の大戦闘を行うのは常人ではない、と諸国が認めた時に、人口比率30対1の劣勢でありながら、平和会議で言い分を通すことができたのである。

引用元:ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)

素晴らしい勇猛果敢な王だった、との評。

フリートリッヒ大王は戦闘を数多くしたが、相手の軍を全滅させようとしたり、相手国を滅ぼそうなどと考えたことはない。彼はあくまでも十八世紀の制限戦争における卓越したリーダーであるにとどまった。
晩年は戦闘なしの傭兵だけで外交目的を達することに努め、それに成功したのみならず、親交のあったヴォルテールの意見を反映してか、戦争の不毛性を口にし、反戦的な言葉が多かったのである。

引用元:ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)

本心では戦争を嫌っていた啓蒙的な王、との評。

また、王位に就いてからも新聞の発行を許可し、大幅な言論の自由を認め、拷問を廃止し、信教の自由を許すなど、まことに啓蒙的で、カントも「フリートリッヒの世紀」として讃えているぐらいの明るい時代を作ったのであった。
また、音楽をすこぶる愛し、宮廷の楽団もあったが、戦費調達のための資金が足りず、演奏者を充分に雇えなくなった時は、自らフルート奏者の役を引き受けたぐらいである。彼の作曲も素晴らしい。

引用元:ドイツ参謀本部-その栄光と終焉 (祥伝社新書168)

文学と音楽の才能もあって、しかも気さくな一面を持った非の打ち所のない王! と絶賛。

多才だった大王は、フルートの演奏だけでなく、作曲もした。フリードリッヒ大王作のフルート音楽は、現在も発売されている。

腹黒大王

フリードリッヒ二世は三十年戦争末期頃から頭角を現してきたブランデンブルク選帝侯国の後継国家プロイセン王国を幾多の戦いを勝ち抜くことでヨーロッパ随一の強国に押し上げ、
その傍らでフルートを奏で、哲人ヴォルテールと清談を楽しむような人物だった。
 このような相反する二つの何の矛盾もなく一身にぴたりと当てはめることができたフリードリッヒ二世はまさしく英雄であった。後に大王と呼ばれる所以である。

引用元: 傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

おお、英雄! との評。しかし……(下へ続く)

大王があれほど嫌い抜いた父のやり方を踏襲したものである。……中略……大王は父よりはるかにワルであった。大王はただ、強制的にかき集められた兵を牛馬のごとくこき使い、ヨーロッパ勢力地図を塗り替えていくだけである。
そしてその傍ら、「余は国家第一の下僕である」とぬけぬけと言ってのけ、フルートを奏で、読書にふける。フリードリッヒは稀に見る酷薄非情な王だったのだ。

引用元: 傭兵の二千年史 (講談社現代新書)

同じ著者と思えないほどの酷評ぶり。腹黒な王様だった、との評……。
ちなみに父王はただのエキセントリック(変人)。
当時、ドイツ諸侯による兵士狩りが横行しており、独立戦争が勃発したアメリカへ売り飛ばしたというエピソードもあったことから、大王だけが酷薄非道だったわけではなかったらしい。

秀才肌で仕事嫌い

フリードリヒは才気に富み、アイデアに富み、政治的・軍事的才能のみならず、文学的・音楽的才能にも恵まれた多才な人間であった。
しかし彼は、そもそもどの分野においても天才ではなく、どちらかといえば、非常に多くの分野に高い才能を示す好事家であった。
真に尊敬に値するフリードリヒの作曲も、今なお読む価値のあるその著書も、それぞれバッハ、ヴォルテールの域にははるかにおよばず、政治家・戦略家としては、洞察し、先を読むに必要な「天才」の鋭さも、また手出しをする際に見せる堂々たる品位ある自信――これこそは、偉大といわれる人たちが持ちあわせている特徴である――も、ほとんどない。
それどころかフリードリヒは、その長い統治の前半では、つねに決まって、まぎれもない賭博師であった。

引用元:図説 プロイセンの歴史—伝説からの解放

この著者は天才ではなく器用な秀才肌、との評。素晴らしいことは素晴らしいけども、本物の芸術家には及ばないということだろう。

著者が大王と同じドイツ人だけあって、なかなか鋭い。

フリードリヒは皮肉屋だった。フリードリヒは良心のとがめを知らぬという点では同時代の政治家と同じであったが、それを隠さなかったという点で彼らと異なっていた。
王は逆に、自分の行為を(そして他人の行為をも)、ぼろくそに言うことを楽しんだ。
それが媚びから来るのか、あるいは「自分の忌み嫌う仕事」(ふたたびフリードリヒ自身の表現)への一種の捨てばちな気持ちからくるのかはわからない。

引用元:図説 プロイセンの歴史—伝説からの解放

自分の忌み嫌う仕事=プロイセン王のこと。そんなフリードリヒを著者はメフィスト的だと表現する。悪魔的な大王を嫌悪するか好ましく思うかは人それぞれ。
自分で自分を客観的かつ冷徹に見ることができたからこそ、フリードリッヒ大王の判断力は卓越していたのかもしれない。

当ページ 参考書籍


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3.七年戦争

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6.その他