フリードリヒ大王4~啓蒙君主

❡ 啓蒙君主

老フリッツと呼ばれ

七年戦争が終わったころ、大王は老いてしまった。
以前のように精力的に執務をこなし、社交を楽しむのだが、年々、親しい人々が亡くなり、孤独が増した。
そんな大王を、国民は親しみをこめて老フリッツと呼んだ。
国が大きくなり、行政も複雑になるが、大王はすべてを把握していないと気がすまない。市民の秘書官――官僚を使って、国政を行った。
しかし、貴族である高官らは、内心、老いた王の介入を嫌った。業務が滞るからである。
余暇は音楽、文学、手紙、執筆、友人たちの会話を楽しんだ。優雅な社交が復活する。
喧嘩別れしたヴォルテールとの文通が復活した。

そんな大王の楽しみが、食事である。普段は倹約するが、料理にはこだわった。とくに好きだったのが、新鮮な果物と濃いコーヒー。
食べ過ぎを気にしたようで、ダイエット食も作らせたという。
嗅ぎ煙草を愛飲しており、王らしくない質素な服には、いつも煙草の葉がついて汚れていたほど。
それ以外は、倹約な生活を好んだ。

フリードリヒ大王の統治と政治

フリードリッヒ大王は重商主義政策に熱心であった。
運河、道路を建設し、織物工業と鉱山開発を保護する。外国の食物には関税をかけ、農作物の備蓄を行った。凶作のとき、放出するためだった。
煙草とコーヒーを専売にしたが、国民からは大不評。それらの外国産を庶民が大量に消費することで、プロイセンの貿易が赤字になったためだ。
特権階級である貴族を保護し、その後、ユンカーと呼ばれる小規模地主貴族が生まれる。
軍役を課せられた彼らは、大半がプロイセン軍の士官となった。

ジャガイモ栽培を広めた功績

もともとドイツではジャガイモを食べる習慣がなく、初めは不気味な形をだれもが嫌った。
食糧事情を改善するため、フリードリッヒ大王みずから率先してジャガイモ食べ、栽培を広めた。ジャガイモは寒冷地でも収穫できたからだ。
その後、ジャガイモはドイツの国民食になる。

継承戦争とヨーゼフ二世

1772年、ポーランドの分割によって、ブランデンブルク領がプロイセン領となる。
分割はプロイセン、オーストリア、ロシアの君主たちが話し合って、勝手にわけあったのである。
1778年にバイエルン継承戦争が勃発。一方的にバイエルンへ侵攻したヨーゼフ二世に対し、フリードリッヒ大王はプロイセン軍を出撃させる。
しかし大王は戦いをしないまま、ロシアとフランスが介入して平和条約を結んだ。
やがてマリア・テレジアが崩御すると、野心的なヨーゼフを大王は警戒した。まるで若きころのフリードリッヒのような君主を。

老フリッツの日課と晩年

午前中は国務と軍事演習。
昼は美食と談話。
午後から夕方は芸術、学問、社交。
午前3時に起床、午後10時に就寝。

なお老いても口うるさい大王だったが、それを嫌った近親者はたまにしか、訪問しなかった。
仲の良かった姉ヴィルヘルミーネはとうに亡くなっており、他の友人たちも他界してしまった。
孤独な王の一番の友は、飼い犬のグレイハウンドだけだったという。

崩御

1786年、フリードリッヒ大王は老衰でこの世を去った。73歳であった。

「自分を語ることの多いこの英雄は、この征服者は、本当に一人でも友人を持っているのかしら。世間の誰をも信用していないのではないかしらね」

引用元:フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣 (中公新書)

マリア・テレジアが息子ヨーゼフに宛てた手紙。


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