耽美王ルートヴィヒ2世 3~悪夢の婚約

不幸な婚約劇

オーストリア皇后エリザベート

婚約者ゾフィと姉シシ

シシ――オーストリア皇后エリザベートの愛称――は、ヴィッテルスバッハ家の出であり、曽祖父がルートヴィヒと同じでした。父はバイエルン公マクシミリアン・ヨーゼフ、母はルートヴィヒ1世の妹ルートヴィカです。
8歳年上の彼女は、自然と馬をこよなく愛する活動的かつロマンティックな少女で、幼いルートヴィヒとは心通じ合う仲でした。
ときおり家族同士集まっては、自然たっぷりの避暑地で過ごしました。

そんなシシが16歳のとき、オーストリア青年王フランツ・ヨーゼフに一目惚れされ、結婚します。シシ自身はその結婚に乗り気でなく、しきたりだらけのハプスグルク宮殿での生活にうんざりしました。
夫に失望したシシはひとり旅をし、ヨーロッパ中を逃避行する姿は、孤独の皇后と呼ばれるのでした。

姉のように慕っていたシシの妹令嬢――それがゾフィです。17歳のゾフィは愛らしく、幾人かの貴公子が狙っていたほど。
ルートヴィヒとゾフィを親しくしたのは、ワーグナーの擁護でした。追放された音楽家の味方をしたのは、ヴィッテルスバッハ家ではゾフィだけだったのです。

ゾフィはルートヴィヒといっしょにワーグナーを歌い、オペラ観賞や文通を通じて芸術を語ります。
そんな若者ふたりにやきもきしていたのが、ゾフィの母である大公妃でした。

大公夫妻から婚約を急かされているさなか、ルートヴィヒがゾフィに書いた手紙の抜粋。

『君の友情は私にとってどれほどの慰めであったことか……。<中略>私の命がそれほど永くなく、予感される凶事が起こり、私の運命の星が消え失せ、あの彼が、裏切ることのないあの友が逝けば、私もこの世を去るのは君も知っているはずだ。そう、そのとき私の命も消える。私自身が生きていくことができないから。私たち二人の関係の重要な対象が、リヒャルト・ワーグナーの異様で熱情的な運命であったことは、君もわかってくれているだろう。どうか怒らないで、君の私に対する優しさの証に手紙を送ってほしい。』

明らかに情熱を傾けているのはゾフィでなく、ワーグナーの芸術であるのがわかります。女性としてでなく、友人――妹のようにルートヴィヒは思っています。
その手紙を受け取ったゾフィの気持ちは、いかほどだったのでしょうか。

婚約したものの……

ルートヴィヒにしてみれば、結婚したいわけでなく――そもそも女性そのものに興味がわかないのもあって、ためらっていたものの、ホルンシュタインとポール・ド・タクシスが結婚したことで、自分もあきらめて身を固める決意をします。
「君たちにお付き合いだ」と。

ルートヴィヒの突然の婚約発表に、ヴィッテステルバッハ家の人々は喜びます。そしてバイエルンはもちろん、ヨーロッパ中が祝福します。
ルートヴィヒを愛していたゾフィは、一週間前の手紙の件を忘れ、唐突なプロポーズにもかかわらず、素直に感激しました。

麗しい青年王と愛らしい公女のカップル。ルートヴィヒの視線と距離感がぎこちなさを感じさせる写真でもあります。

一見すると幸福そうなふたりですが、挙式日が近づくにつれ、ルートヴィヒの態度と様子がおかしくなっていきます。

ゾフィはルートヴィヒから「エルザ」と呼ばれるようになります。芝居のヒロインの名です。
ゾフィは気にしないようにしていましたが、ルートヴィヒは結婚を現実世界でなく、夢の世界のできごとだと自分に言い聞かせていたのでしょう。

2月の祝賀会のあとの舞踏会。まだ始まったばかりでしたが、側近の懐中時計で午後10時なったのを確認するなり、王はあいさつもなく王宮を出ていきました。「ウィリアム・テル」の芝居を見るためです。
突然の事態に周囲は驚き、寂しく残されたゾフィの姿がのちの悲劇を象徴していました。

婚約し、ふたりきりになったとき、ルートヴィヒはゾフィの額に口づけするだけで、あとは「君の瞳は美しい」と、30分のあいだ繰り返すだけでした。

あるとき、ルートヴィヒはおのれがもっとも愛しているのはリヒャルト・ワーグナーだ、と言い、ゾフィにもワーグナーとの文通をさせます。いじらしいゾフィは、王に言われるまま、ワーグナー崇拝の手紙を書きました。
ワーグナーだけが、ふたりを繋ぐ絆だと、ルートヴィヒは信じていたのでしょう。

ゾフィ公女

王妃のための王冠を作り、ゾフィとの結婚は着々と進みます。
そんなある日、ルートヴィヒは将来の花嫁へぽつりと言います。
「私は幸せで満ち足りています。スタルンベルクの教会で挙式したい」。
華やかな結婚式でなく、内輪の集まりでしたいという思いは、結婚に消極的な思いの一端が現れているようです。

どこか冷たい婚約者に気に入られようと、ゾフィは小さなたくらみをし、突然のワーグナーとの対面でルートヴィヒを驚かせました。舞台はゾフィの親戚の屋敷でした。
婚約者同士を結びつけたワーグナーは、王とゾフィを存分に祝福します。王として立派に務めを果たして欲しい、という願いともに。
しかし、同時にワーグナーは王との交流に疲れていました。おのれへの熱情が、結婚へ向けられるのを密かに望んでいたのです。早く結婚するよう、アドバイスするのでした。

結婚式を5ヶ月後に控えた、5月のある日。
ルートヴィヒは新顔のお伴を連れて、馬で遠乗りを楽しみます。彼の名はリヒャルト・ホルニヒ。金髪に青い目をした従者は、王と同い年の美青年でした。

ホルニヒを気に入ったルートヴィヒは、彼を従者にして夏の旅を楽しみます。
当時、開催されていた万博を見るため、パリへ行ったのですが、ゾフィは同行していませんでした。
パリのオペラ座のボックス席を貸し切った王。同じくオペラを観賞していたパリ社交界の人々の注目の的になり、着飾った女性たちがオペラグラスで見目麗しいバイエルンの青年王を観察します。

そんな王のハートを仕留めようと、幾人もの令夫人たちが社交界で、ルートヴィヒに近づきます。
そのなかのひとりであった、ポワリイ男爵夫人は誘惑たっぷり、艶話を始めたものの、王は困った顔をするだけ。
「女を愛するのならば、ちょうどここにある女性のように、白く、石でできた女がいい」
と、そばにある石像に触れながら、ルートヴィヒは答えました。
ポワリイ男爵夫人は驚き、翌日、女友だちへ口説きが失敗に終わった理由を話します。
「あの男は気狂いよ。石の女が欲しいんですって」

盛況なパリ万博を楽しみ、絶対王政の象徴であるベルサイユ宮殿を見学した王は、感激します。夢想の世界を超越するような、圧倒的に美しい城――。
触発されたルートヴィヒは、のちにゴシック建築に情熱を傾けるようになります。

婚約の解消

旅を終え、8月の挙式を控えたある夜、オペラ観賞をするロイヤル・ボックス席にいたのは、ルートヴィヒだけでした。ゾフィは横のボックス席におり、花束を受け取ったもののわずか5分で王は、去ってしまいます。
そのときの様子をリストは「陛下の結婚についての熱意は、大変節度のあるもののようです」と、知り合いへの手紙に書いています。

そして突然、挙式を10月に延期したいと、王がバイエルン公へ申し出ます。

ルートヴィヒを愛していたゾフィでしたが、言葉だけでまったく態度に示さない王へ、不信感を抱き始めます。「お母さま、陛下は私をもてあそんでいらっしゃるのだわ!」と、怒る母へそう嘆くのでした。

婚約が延期されたのを知ったワーグナーは、事態が深刻なのを見抜き、極度の自己不信に陥っているだろう王へ手紙を書きます。「どうか心を開いて、私に悩みを打ち明けてくださいませ」と。
ルートヴィヒは、沈黙を貫きます。
しかし、精神が限界を迎えたのか、「結婚するぐらいならアルプス湖に身を投げて死んでしまいたい」と、口にする始末。

またも婚約延期が申し出され、バイエルン公の堪忍袋の尾が切れます。激怒した公は王へ、ただちに11月末までに正式決定するよう最後通牒を出したものの、王も怒ります。
「臣下が君主に対して、このような書簡を送りつけてよいものか!」
側近が「臣下としてではなく、父親としてそう申されているのです」と説得するも、これを理由に、ルートヴィヒはゾフィとの婚約を解消したのでした。

ルートヴィヒからゾフィへの破談の手紙より抜粋。

『すべてが満足のいく結果に終わるだろうとの確信から行動しました。いま、自分の気持ちを考え、状況をふりかえってみて、私の心の奥底にあなたに対する真実で誠実な愛があり、これからもあり続けるだろうとわかりました。しかしまた、このような愛という形が結婚という結びつきには不可欠でないのもわかったのです。』

婚約解消を悲しまない王でしたが、怒りは大変に凄まじいものでした。
婚約者の写真を破り捨て、手紙を燃やし、ゾフィの胸像を窓から投げ捨てました。代わりにワーグナーの胸像が書斎に置かれます。
ルートヴィヒは自分自身へ闘いを挑んだものの、負けてしまった悔しさと屈辱に苦しんでいたのでした。――そう、おのれの許されざるおぞましい性癖に。

数ヶ月後、ルートヴィヒはコジマへ事情を説明した手紙を書きます。

『私は子供のころからゾフィを知っていて、そばにいるだけですばらしい人だと、妹についてそう思うのと同じように、深く真剣に思っていました。私は彼女を信じ、私の友情を与えたのでしたが、愛は与えなかった。結婚の日が近づくにつれて、この結びつきがふたりのいずれにも幸せをもたらさないだろうと認めたときの私の苦しみがいかほどであったかは、ご想像いただけると思います。どれほど婚約解消を決心するのがつらかったか。』

この結婚は「悪夢」だった、とワーグナーへの手紙にはっきりと書いてもいます。

その後、ゾフィはブルボン=オルレアン家のアランソン公フェルディナンドと結婚しました。
30年後の1897年、慈善バザーの火事でゾフィは焼死します。売り子の女性たちを先に逃し、自分は逃げ遅れてしまいました。その遺体はあまりにも焼け焦げ、歯科医の鑑定で身元が判明したほどでした。

普仏戦争とビスマルク

ノイシュヴァンシュタイン城

築城への情熱

婚約解消後、スイスにいるワーグナーがバイエルンを批判した記事を書いたことで、王との友情に陰りが見え始めました。文通もとぎれとぎれになり、ワーグナーが王と謁見しようとしても、拗ねたルートヴィヒは会ってくれません。
ワーグナーとコジマの不倫がまたも噂になり、何度かそれを否定したルートヴィヒでしたが、またも「ふたりは潔白だ」と擁護する役割を果たします。

不倫はいっときのものだと、王は信じていたのですが、じっさいは三人目の子供が生まれていました。汚い男女の裏切りを突きつけられた王は失望し、8年間、ワーグナーが会うことを許しませんでした。

そんな現実の憂さを晴らすかのように、ルートヴィヒは城の建築に情熱を傾けます。
ホーエンシュバンガウに古い村の復元をするなか、チロル山系が見える絶景の丘に城を建て、のちにノイシュヴァンシュタイン城と名付けられます。

白鳥の地に立つ、白鳥の城――。まるでワーグナーのオペラ世界、ローエングリンを再現したかのようなそれは、王の夢幻世界そのもの。中世の円卓の騎士時代をモデルにし、13世紀ロマネスク様式を取り入れた美しい城を、ワーグナーは一度も見ることなく、死んでしまいましたが……。

普仏戦争の勃発

そのころバイエルン国内は、反プロイセン派である保守派の運動が盛んでした。プロイセンと同盟を結んだものの、傲慢なプロイセンのやり方にバイエルン国民の多くが反発していたためです。
親プロイセン派であるホーエンローエ首相の弾劾を、上院審議会が投票で決定するも、王は議会を解散させ、ホーエンローエを首相の座に留めます。それだけ、ルートヴィヒは候を信頼していました。

しかし後日の選挙で、保守派が圧倒的多数で勝ったことで、ホーエンローエを仕方なく解任しました。率直に言い合える友人を失い、ルートヴィヒにとって政治はさらに暗く重い存在になります。

そんなおり、フランスとプロイセンの仲が悪化。戦争をしたいビスマルクが、ナポレオン3世を挑発していたさなか、革命でスペインの王位継承問題が出てきました。つぎの王の候補として上がったのは、プロイセン王家のレオポルド公。
公はカトリック教徒であったため、ビスマルクは公に承諾させます。しかしフランスとしてみれば、プロイセン王家に国が挟まれ、脅威を覚えずにいられません。

一度は辞退したレオポルド公でしたが、ナポレオン3世は納得できません。プロイセン王自身から「レオポルド公を王位継承権から外す」と確約しないと、信用できないと大使を通して執拗に電報をします。
ビスマルクはそれを短くまとめて、新聞に掲載することでフランスへの怒りを世論で作ります。プロイセン王を侮辱する内容そのものだったからです。
フランス側も大使を侮辱されたと怒り、1870年7月19日ついに開戦に踏み切ります。

プロイセンの同盟国であるバイエルンも戦争に参加せねばならず、ルートヴィヒはさんざん悩んだあげく、動員令をかけます。「早く与えるものは二度与える」とラテン語の格言とともに。
なんとか中立を保ちたかったものの、おそらく普仏戦争はプロイセンが勝利することを見越し、それに賭けて王は参戦に踏み切りました。すべてはバイエルンの国益のため。
反プロイセンの保守派議会は混乱するも、秩序をすぐに取りもどし、開戦に賛成します。


1.夢想の王子
2.音楽家ワーグナー
3.悪夢の婚約
4.不可解な死