図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放
図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放 購入迷ったけど、思い切って買ってよかった書籍。フランスやイギリス、オーストリアに関する歴史書は数あれど、プロイセンを扱ったものは少ないです。ほとんどないと言っていいぐらい。歴史書と … 続きを読む
図説 プロイセンの歴史―伝説からの解放 購入迷ったけど、思い切って買ってよかった書籍。フランスやイギリス、オーストリアに関する歴史書は数あれど、プロイセンを扱ったものは少ないです。ほとんどないと言っていいぐらい。歴史書と … 続きを読む
❡ フリードリヒ大王の評価いろいろ 礼儀作法を冷笑 たとえばフリードリヒ二世はヴェルサイユ宮廷の礼儀作法について説明を受けたとき、これを大いに笑ったというし、 フランスでもルイ15世、ルイ16世をはじめとし … 続きを読む
❡ フリードリヒと女性 ヴィルヘルミーネ フリードリヒ大王と最も仲が良かった姉。リュートの演奏をし、文学的影響を弟に与えた。 ブランデンブルク=バイロイト辺境伯に嫁ぐも、夫の不貞に悩み、愛人を外国人と結婚さ … 続きを読む
❡ 啓蒙君主 老フリッツと呼ばれ 七年戦争が終わったころ、大王は老いてしまった。 以前のように精力的に執務をこなし、社交を楽しむのだが、年々、親しい人々が亡くなり、孤独が増した。 そんな大王を、国民は親しみ … 続きを読む
❡ 七年戦争 七年戦争の始まり ポンパドゥール夫人の活躍により、マリア・テレジアとロシア女帝エリザヴェータは同盟を組む。シュレージエンを奪還し、フリードリヒを倒すために。 オーストリアだけでなくフランスとロシアまで敵に回 … 続きを読む
❡ 王太子時代 少年フリードリヒと父王 兄が二人いたが生後まもなく他界。三男フリードリヒは生まれた時から王太子であった。 姉と大変仲がよく、母である王妃ゾフィーが文学や芸術をこよなく愛していたのもあり、フリードリヒも傾倒 … 続きを読む
フリードリヒ大王とは? フリードリヒ2世(Friedrich II., 1712年1月24日 – 1786年8月17日)は、第3代プロイセン王(在位:1740年5月31日 – 1786年8月17日 … 続きを読む