ピョートル大帝 1~ふたりのツァーリと摂政ソフィア(ピョートル1世)

ピョートル大帝
ピョートル大帝
不遇な少年ピョートルと異母姉ソフィア

ロシアのツァーリ(皇帝)――アレクセイ・ミハイロヴィチ・ロマノフは、1671年1月に二度目の結婚をします。先妻マリアが亡くなり、生まれた5人の息子のうち、3人は早世。皇子フョードルは知恵はあるも虚弱、下の皇子イヴァンは政治を任せられないほど無気力な癇癪持ちで、健康な皇子を授かりたいためでした。

1772年5月、皇妃ナターリアが男児を生みます。ピョートルと名付けられたその赤ん坊は、待望していた健康で元気な肉体を持っていました。アレクセイ・ミハイロビッチは大宴会を催し、皇子の誕生を祝いました。
しかし、今まで生まれたどの兄弟にも似ておらず、強健なピョートル少年の父親は本当にツァーリなのか、という疑惑が貴族たちのあいだに生まれます。皇妃はそれだけ美しくもありました。
ピョートルはその疑惑に生涯、苦しんだといいます。

1676年アレクセイ・ミハイロビッチが崩御すると、皇子フョードルがツァーリに即位します。
戴冠式の祝賀が終るや否や、皇弟ピョートルと母ナターリアは、先妻皇妃マリヤの一族ミロスラフスカヤ家によって、モスクワ郊外の農村へ蟄居させられます。ナターリアの一族であるナルィシキンの者に権力を持たせないためでした。

1682年5月、病弱だったフョードル三世が早世します。後継者を指名していなかったことで、ゼムスキー・ソボールの選挙にて、ピョートルを皇帝に擁立します。
一旦は玉座に座った10歳のピョートルでしたが、それを黙って見ていなかったのは姉である皇女ソフィアでした。
ソフィアは虚弱な兄弟たちと違い、丈夫で健康、しかも頭が良くて悪知恵も働く大柄の女性でした。もし男子に生まれていたら、帝冠を戴いたのはソフィアだったはずです。父であるアレクセイは最期まで彼女を女帝にすべきか迷ったほどでした。

ピョートル大帝一家1716年

当時、ロシアの女性皇族や貴族は政治参加はもちろんのこと、自由に外出や社交はできません。皇女たちはテーレムと呼ばれる宮廷の最上階で、ほぼ幽閉生活でした。
自分よりも身分の低い臣下――男性貴族や、異教である外国王家との結婚は許されず、生涯、未婚のまま神への祈りを捧げながら暮らします。医者が呼ばれるのは臨終の際ぐらいで、男性の目に触れられることは禁忌でした。

そんな悪習にソフィアは敢然に立ち向かい、自らが摂政としてフョードルを助けました。それが自信となり、自由を知り、二度とテーレムに戻るつもりはありませんでした。

かつてイヴァン雷帝が作った銃兵部隊――自由兵である彼らはモスクワを警備する傍ら、玉座と教会を平然と非難をして治安を悪化させ、不満があると武力行使に訴える、と宮廷を脅す悩みのたねでした。世襲制が災いし、特権にあぐらをかいていたのです。
ピョートル1世が即位した際、連隊長が着服したのだと訴え、摂政であるナターリアは彼らを鎮めるため、なんの調査もせず、連隊長を処刑します。

そこで、ソフィアは奸計をめぐらし、愛人ヴァシーリー・ゴリーツィンとともに、銃兵部隊を利用することにします。
「フョードル3世を毒殺したのは、ナルィシキン一族であり、皇子イヴァンの暗殺を企んでいる。即位したピョートルは皇位にふさわしくない。なぜなら、ナターリアの愛人の子である」だと流布し、銃兵部隊を焚き付けました。

そしてついに1682年5月、「ナルィシキン一族が皇子イヴァンを手に掛けた」と噂を流し、蜂起させます。怒り狂った親衛隊たちは宮殿を襲い、ナルィシキン一族を次々と殺害します。
血の海に染まる宮殿に、ピョートルと皇子イヴァンはいました。背後に総主教と大貴族、母皇妃がおり、イヴァン殺害は偽りであると告げます。
そこで一度、騒乱は収まりかけるも、連隊長の不手際で銃兵部隊の怒りが再燃。さらに宮殿にいるナルィシキン一族の「裏切り者」を惨殺します。

その光景をツァーリとなったばかりのピョートル少年は、怯えながら見ていたといいます。無表情で固まり、夜、突然、叫び声をあげ飛び起きる。その時から、不意の痙攣が始まったほどだ――という説がある一方、後年の残虐性から「大量の死は一種の陶酔をもたらしていたのだろう」とも。

翌日、騒動はナターリアの兄が「黒幕」として処刑されたことで収束しました。彼が一族の罪を一身に背負い、ナターリアとピョートル母子は処刑を免れます。

勝利したソフィアは「暗殺者」たちを味方に引き入れるために、犠牲者の財産を分け与え、報奨を与え、彼らを嫌う貴族たちを左遷させました。銃兵部隊のために大宴会を開きます。
イヴァンとピョートルを共同統治者として、2人体制のツァーリを玉座に据えるよう、貴族会議に求めます。反対すれば、また武力行使をする、と忠告しながら。

そしてついに、皇女ソフィアは弟イヴァン5世の摂政として、権力を握ります。帝冠は戴けないものの、実質的なロシアの君主としての地位を得たのです。

皇女ソフィア
摂政ソフィアの失政

摂政になったソフィアがまず直面したのは、正教会の「分離派」の騒乱でした。「古儀式派」と対立する彼らの首謀者ニキータは叛逆者として銃兵部隊に処刑されます。彼女は銃兵部隊をもてなし、味方につけたのが功を奏しました。

そんな折、兵士たちが敬愛している老指揮官イヴァン・ホヴァンスキーが、ツァーリ2人とナターリア殺害を計画している、という匿名の密書を受け取ります。
銃兵部隊を利用したソフィアですが、いつ彼らが反乱を起こすのかが不安のたねでした。イヴァン・ホヴァンスキーの陰謀は信じていなかったものの、ソフィアはこれを好機、と利用します。

暗殺計画の密書を理由に、イヴァンとピョートル、ナターリア、ソフィア、ヴァシーリー・ゴリーツィンと廷臣たちはモスクワを出ました。そして、イヴァン・ホヴァンスキーを呼び出し、野営しているところを襲撃します。
捉えられたイヴァン・ホヴァンスキーは、無実を訴えるも虚しく、処刑されました。

ソフィアに恐れをなした銃兵部隊の兵士たちは、2人のツァーリに平伏します。そして、彼女は寛大に許します。銃兵部隊たちはそれぞれ遠い地方を警備するため、モスクワを旅立ちます。
このとき、少年ピョートルは、人々を屈服させるには徹底的に厳しくする反面、寛大に許す統治を学びました。

愛人ヴァシーリー・ゴリーツィンは長身で端正な顔立ちだけでなく、政治的に知的で有能な臣下でした。ソフィアの政治を補佐し、太っていて大きく美しくない皇女の恋心を、熱心に受け止めて相手をしたといいます。

しかし結婚は無理でした。彼は既婚者で妻子持ちだったからです。奸計で妻を修道院に追いやって、再婚したとしても、今度は新たな血筋の王朝を立てなくてはならず、大勢の家臣や民がそれを許すとは思えませんでした。

――それでも愛人の位を上げ、公に認めさせたい。

ヴァシーリー・ゴリーツィンに戦功を立てさせることで叶うはず、とソフィアは考え、彼をトルコ戦の総司令官に抜擢します。外交官のヴァシーリーは固辞するも、皇女の命令は絶対です。
1886年5月、仕方なく黒海に近いトルコとの国境に赴くも、タタール人の大放火のため退却を余儀なくされます。凱旋を出迎えたソフィアは負け戦にも関わらず、「勝利者」としてヴァシーリーを讃えました。

1688年、クリミアが汗を攻撃したことで、ソフィアは二度目の遠征を決定するも、総司令官はまたもヴァシーリー・ゴリーツィンでした。
実は勝利ではなく負け戦だったのだと人々は噂するも、やはり辞退は許されません。

1689年の春、ようやく要塞に到着すると戦うことなく、ヴァシーリーは外交官らしく交渉を開始しました。猛暑と疫病でたくさんのロシア兵が倒れていたからです。
そしてじょじょに退却するロシア軍をタタール人は見逃さず、ロシア軍は敗走します。死者2万、捕虜1万5千の大敗でした。

それでもソフィアは凱旋したヴァシーリーを勝利者として褒め称えます。しかし実際は完敗なのだとだれもが知っており、帰還した兵士たちは驚きました。
ヴァシーリーが遠征しているあいだ、ソフィアは別の愛人を作ります。愛人としての役目がなくなったヴァシーリーでしたが、敗戦のために人々から憎まれ、醜聞を流されます。それは「タタール人から巨額の賄賂を受け取って通じている」と。
そして皇女はロシアが惨敗している一大事なのに勝利を騙り、何人もの男を愛人にしたあばずれだと、ソフィアの人気は凋落するのでした。

ノヴォデヴィチー修道院のソフィア
選ばれしピョートル

ソフィアに追放されたピョートル母子は、モスクワ郊外の小さな村で生活をしていました。奔放に育ち、軍隊に興味を抱いたピョートル少年は、家臣や少年たちを連れては戦争ごっこに夢中になります。
やがて遊びは本気へと変わり、連隊を作って模擬戦をします。武器や火薬、馬を使った本格的なもので、けが人はもちろんときおり死者(戦死者?)も出たほどです。

そんな乱暴な息子を落ち着かせようと、1689年1月、母ナターリアは16歳のピョートルを結婚させます。相手は敬虔でおとなしい貴族の娘エヴドキヤでした。20歳の妻は従順で受け身なため、ピョートルは「つまらない女」を愛することはありませんでした。

1689年6月、ピョートル、イヴァン5世、皇族たちはクレムリンの寺院での宗教儀式に参加します。本来、男性しか参加できない儀式にソフィアが出ると宣言したことで、激昂したピョートルは参加を拒否し、村に帰ってしまいます。
ついに弟ピョートルが公然と敵対するようになった、とソフィアは危機感を募らせ、ピョートルとその母親、臣下、友人たちを暗殺する計画を立てます。愛人シャクロヴィートィにそそのかされながら。

その暗殺計画に我慢ならなくなった銃兵部隊の2人の兵士が、村にいるピョートルに伝えます。「皇女ソフィアに殺害されます。早く逃げるように」と。
10歳のときクレムリンで起きた血なまぐさい殺戮を思い出したピョートルは、寝間着のまま、母と妻を置き去りにして、裸足で馬を駆ります。森に隠れ、あとから来た召使いが持ってきた服に着替え、要塞の守りのある聖セルギー・トロイツァ修道院に逃げました。
大柄で精悍で勇ましいピョートルでしたが、根は神経質で臆病者。修道院に到着するなり、立って歩けないほど消耗し、召使に抱えられて移動します。

ピョートル大帝

殺されるかもしれない、と震えるピョートルのもとに、ぞくぞくとモスクワの家臣や連隊がやってきます。一時は死ぬ恐怖に怯えた彼でしたが、顔なじみの戦友仲間を見て安堵し、希望を見ます。夕刻に到着した妻と母のことは、まったく頭にありませんでした。

不意打ちの殺害計画に失敗したソフィアはまったくめげず、銃兵部隊と連隊の兵士たちを買収しようとします。自分たちの味方につくように、と。
兵士たちは迷うも、愛人にうつつを抜かし、偽りの勝利の報奨を出したソフィアを見限り、ツァーリであるピョートル陣営につきます。

明らか勝利を確信したピョートルのもとへ、ソフィアは姉として話し合いをしようと修道院へ向かうものの、中途で捕らえられ、モスクワへ引き返すしかありません。
そして信用していたはずの銃兵部隊に、政治顧問である愛人のシャクロヴィートィを引き渡せと要求されます。ツァーリへ反逆の首謀者として渡すためでした。
一度は断るソフィアでしたが、再びクレムリンが血の海に染まることはできない、と摂政として判断を下します。

シャクロヴィートィは拷問を受け、ピョートル殺害は企んでいないと訴えるも処刑。
首謀者が処刑されたことでソフィアは命が助かったものの、ノヴォデヴィチー修道院へ隠棲するようピョートルに命じられました。
素直に負けを認めたソフィアは、その後、表舞台に姿を現すことはありませんでした。

1689年10月、ピョートルはモスクワへ凱旋します。絶え間ない教会の鐘と人々の歓声が勝利した17歳のツァーリを出迎えました。
兄であるイヴァン5世は全てを弟に任せ、宮殿の奥で静かに暮らします。

ソフィアの最初の愛人、ヴァシーリー・ゴリーツィンは従兄弟ボリスの嘆願で一命をとりとめ、シベリア流刑になりました。

ピョートル大帝
玉座を嫌うツァーリ

正統なツァーリとして玉座についたピョートルに、人々は期待したのですが、彼は政治をしませんでした。母とその一族に政治を任せ、ドイツ人居留区に入り浸ります。
当時のロシアでは外国人は居留区にしか住めず、しかしそこはハイカラな文化が花咲く町でもありました。ドイツだけでなく、イギリス、フランス、オランダの最新の医療や流行、社交が催され、ロシアにはない世界をピョートルは楽しみます。

とくに興味をひいたのが女性たちで、胸元の開いたドレス姿で社交をするレディたち――貴族のふりをした庶民もいた――を愛人にします。
そのなかでの一番のお気に入りは、宿屋の娘であるアンナ・モンスでした。快活で豊満な肢体を持った彼女とたびたび、夜をすごしますが、あくまでも肉体関係を満たすためでした。

ピョートルは気楽な男同士の集まりを好みました。しょっちゅう酒盛りをしては、集まった友人や知人の男たちを泥酔させます。べろべろになった彼らのたわごとを、ピョートルは密かにメモしていました。彼らの本音を暴き、のちのちの政治に利用するためでした。
そんなピョートルはどれだけ飲酒しても、あまり泥酔しなかった、といいます。

若いピョートルがとくに惹かれたのが船でした。ロシアにはまだ艦隊が存在しておらず、ロシアを強国にするためには必要だと確信します。少年時代、大叔父が所有していた中古のイギリス船を修理し、北極圏の白海で航海術を学び、夢中になったのです。

1694年1月、母がナターリアが帰らぬ人となったとき、悲しみを紛らわすようにピョートルは、航海に出かけるも嵐に遭遇。船が壊れそうになり、九死に一生を得ます。
おのれの弱さを克服した、と信じるピョートルは、小規模な艦隊を作り、航海術の知識がまるでない友人である家来たちを、海軍の官職につけました。果たしてこれは、お遊びなのか本気なのか……。
周囲はそんな疑問を持ちつつも、気まぐれなツァーリに忠実に従うのでした。

ドイツ人居留区でピョートルは、ヨーロッパ諸国のニュースにたびたび触れます。外国の書物を所持することをロシアは禁じていたため、知識を得るには居留区に来る必要があったのです。
しかしそのころには、表向きは禁じられていても、さまざまな書物をコレクションする貴族がおり、じょじょに他国の文化や知識が入ってきてもいました。

ピョートルは思います。
わがロシアを豊かな強国にするには、黒海とバルト海に港が必要だ。
まず、トルコの黒海を手に入れよう。


ピョートル大帝1~ふたりのツァーリと摂政ソフィア
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