昭和初期 上流階級の常識とテーブルマナー

高畠華宵

国民百科現代の常識 – 国立国会図書館デジタルコレクション1938年 雄文館発行
著作権切れの電子書籍から、昭和13年当時の常識をいくつか紹介します。
(挿絵は現代図解礼儀作法 : 国民昭和新儀礼より)

現代の常識とありますが、どうやら読者対象は上流階級向けのよう。女中が登場するのはもちろん、時折文章に「身分によって」や「中流以下ならこのような対応」とあるためです。
ある富裕層経営者(主人)が、現代の常識をよく知らない上流階級の人々へ語るかたちで書いています。
昭和初期の富裕層はどのような常識を持って暮らしていたのでしょうか?

手紙
手紙の書き方

 昭和初期は電話がまだ一般的に普及しておらず、連絡手段は手紙と電報が主流でした。男文と女文とで違いがあり、文語体で書いているため教養がないと書くのはもちろん、読むのも難しかったようです。『国民百科現代の常識』では、季節や冠婚葬祭の例文が豊富に紹介されています。

・手紙をしたためる時は巻紙の始めから、二幅半(約17センチ)ほど余白を入れ、一文字目を書くこと。そして本文、月日、脇付と書いたら、余白を一幅半(約8.5センチ)残す。その前後の余白で手紙の裏表を包み、文字を隠して見えないようにする。

・手紙の上下の余白は、普通は上を五分(2センチ)ほど、下は二寸(7.5センチ)ほど空ける。目上に対する時は上の余白をさらに多めに(卑下を意味する)、同輩や目下へ対する時は下を多く空けること。
 紙を節約する場合、文字を小さめにして行間を狭くしても良い。

・相手方の代名詞と、相手方へのお願いは行の終わりに書くようにする。
 自分の代名詞は行の終わりに書く。「御」の字は行の初めに、「候」の字は業の終わりに書くこと。
 補足:「○○様」「貴殿」「貴君」「貴下」「閣下」が相手方の代名詞。「小生」「私」「迂生」等が自分の代名詞。「御越し被下候(おこしくだされそうろう)」「御出馬被成(ごしゅつばなされ)」「御思召下され」等が相手方へのお願い。

・書いた手紙は終わりから文字を内側にして三つ折りにし、「拝啓」の文字が上に来るようにする。ただし凶事(不幸)の手紙は文字を外にして、終わりから折る。

床間
日本料理の作法

 日本食のマナーとして略式膳と本式膳があります。本式膳はかなり細かくかつ長いため、略式膳を紹介します。

・人に招待された時は案内された時間より、少し早めに訪問するのがマナー。先客がいる場合、挨拶だけして、会話はしないこと。
 客が揃い、案内が来たら縁側の先にある手水鉢で手を洗って、庭園の石と床の間の飾りを、上客から順次鑑賞する。我先にと順番を守らないのは決してしてはいけない。
 主人がやってきたら、上客から順番に挨拶をする。そして庭園と床飾りを褒める。しかし褒めすぎると不自然で不躾なのでほどほどにすること。

・膳を上輩が運んできた時は左右の手を畳に突いて一礼をすること。同輩は指先を突いてあいさつ、給仕ならば気持ちのみでよい。

本式膳

・主人が「どうぞ」で食事開始。
 まず右手で飯椀の蓋を取り、左手に移し、右手に持ち直して仰向けで膳の右傍に置く。次に汁椀の蓋を左手を添えて右手で取り、飯蓋の上に重ねる。次に平皿の蓋を同じようにして汁椀の上に置く。
 箸を右手で取って左手で添えながら、汁椀の中の汁へ箸先をひたす。両手で飯椀を持ち上げ、左掌に載せて持ち、箸を持ち直して二口食べる。次に汁椀を両手に持って左手に置き、汁吸って具を食べ、また汁を吸って下に置き、また飯を食べる。
 次に皿を手にして膾(なます)を食べる。もし皿が大きい場合、そのまま左手で突き、椀の蓋を汁受けにしながら食べる。
 上記の作法を繰り返しながら食べること。飯を挟まないままおかずからおかずを食べるのは不作法である。
 箸を置くときは、左の縁にかかるように箸先を置く。

・茶または湯を飲みながら香の物(漬物)を食べ、その湯で箸先を洗い、懐紙で拭って膳の内側へ置く。汚れた懐紙は着物の左袂に入れ、元のように皿と椀と飯椀に蓋をする。

本式膳はこれらのほかに、刺し身、壺、二の膳、三の膳、中酒が加わります。

来客
西洋料理の作法

・招待を受けたらすぐに返信をすること。主人から受けたら主人へ、夫人から受けたら夫人へ。遅刻をしないように。
 補足:この点が西洋と日本の大きな違い。イギリスやフランスの場合、招待はもっぱら夫人からで、晩餐会には故意に少し遅れて(約15分)到着するのがマナーです。
参考⇒社交界~舞踏会と晩餐会 – 英国執事とメイドの素顔

・身分が異なる者同士が大勢、同室にて会食するのに不都合な場合は、別席を設けて区別するのが好ましい。遠方から来た珍しい客人は主人自ら食堂に案内する。主人不在の場合は夫人が代理をつとめる。
 
・席順は、最も重要な客人紳士を中央の席、その夫人が右側にし、二番目に重要な紳士をその左側、主人はそれらの対面に座り、その夫人は夫の右側に座る。夫婦でなくても、紳士と婦人は交互に座らせる。
 着席する際と、客に物を勧めるときは、婦人を先にして男子をそのあとにすること。

・たとえ朝食でも、普段着ではなく改まった服装にする。婦人は薄化粧で、男子は華美でない服装が好ましい。

洋食

・婦人のお喋りを排除したがる者がいるが、西洋では会食中の談話は好ましいとされている。談話を楽しくできる婦人は、西洋では交際上手と言われる。
 談話をする際、周囲に調子を合わせ、悪口等で感情的な話し方をしてはならない。他人の話をよく聞き、退屈そうにあくびをしたりよそ見をしたりしない。一方的な自分の話はもってのほかである。
 途中から参加した客人には、今、何が話題になっていたのかを説明するのが礼儀である。
 外国人が参加している場合、なるべくその国の言葉を話すこと。

・食卓や椅子にもたれかからず、口の中に含んだまま喋らず、急がず、音を立てず、ゆっくり食べること。手についたソースを舌でなめず、テーブルクロスで拭わず、ハンカチで拭き取ること。食事中は犬猫とたわむれず、指で歯を掃除しないこと。
 パンはちぎって、バターを少しだけつけて食べること。パンや果物がひとつだけ残っていたら、それを取らないこと。きらいだからといって、自分に出された皿を他席に勧めないこと。ナイフやフォークを振り回しながら談話をしないこと。咳やくしゃみは控えること。
(現代の感覚では当たり前の作法ばかりですが、当時はまだ、それだけ西洋式晩餐になじんでない日本人が多かったのでしょう。)

結婚式
見合と結納と結婚式

・媒介人(仲人)を通し、男女両家に写真を送り合う。互いの返事で了承を得たら、次に見合いをする。
見合いをする前に下見をする場合がある。神社参詣、芝居、学校、裁縫所等の行き帰りの際、相手方の容貌をそっと見て、見合いをするかどうか決める。

・見合いの段取りを仲人が進め、場所は主に神社内、公園、圓遊会場、劇場等。双方とも父母か近親者が付き添い、仲人も同席をして見合いをする。女性は女性の付添、男性は男性の付添で、同年代の者はまぎらわしいので避ける。
 見合いは互いの休憩所を付添人とともに通り過ぎ、見合う。(会話はなし。ただ見合いこをするだけという、これが本当のお見合い!)
 見合い後、仲人が双方に「気に入ったか?」とたずね、両者とも異存がなければ、婿のほうから女物の扇子をのし紙に包んで、仲人にわたす。これで婚約が成立する。

・見合いを仲人の家でする場合は、嫁が婿のために煎茶を立て、それを勧める。
 婿の「成る程結構なお茶でございます」をきっかけに、二言、三言、男女が話をする。その様子を付添人と仲人がそっと除いて様子を伺う。

神前飾

・婚姻が決定したら婿から嫁家へ結納のために、身分相応の物を送る必要がある。
 本式 七種⇒小袖、帯、昆布、鯣(するめ)、鯛、末広、樽肴(アワビ、雉、鯉、塩鯛、白絹束等)。
 中略式 五種⇒帯、昆布、鯣、鯛、樽。
 大略式 三種⇒帯、昆布、樽。
 帯以外は金封でも可。中流以下ではこちらが主流。
 小袖と帯は金銀か紅白の水引で結び、白木の足の付いた台にこれらを乗せ、目録をつけて結納する。
 結納品を送る使者は媒介人(仲人)が主流。本式ならば重要な役目なので、袴羽織姿の家来に務めさせる。

・花嫁輿入れの式日は、都合の良い吉日を婿側が決める。
 式当日、嫁は実家を出る前に首途(門出)の盃をし、婚家に輿入れする。
 花嫁の服装は白綸子か白練貫、夏ならば生絹で、袿(うちぎ)は白綾、裏は平絹。袴は緋色か葡萄色。婿は羽織袴で、下は白い袷(あわせ)。
 神前床に飾るが、略式ならば飾り無しの屏風のみでもよい。
 婚礼の儀式で最も大切なのは、三三九度の盃。
 その後、膳が出される。その中味は、雑煮、鰭(ひれ)の吸物、打身(鯉の薄作り)、腸煎(鯉ワタの味噌煮)、羽盛(鴨煮)、舟盛。
 一同が「おめでとう」と祝辞を述べ、二の膳、三の膳を食べ、酒を酌み交わす。花嫁は婿から贈られた衣装でお色直しをする。

三三九度

その他常識いろいろ

徴兵
 満17歳から満40歳までは兵役に服する義務があったため、当時の男子は満20歳になると徴兵適齢届けを出した。徴兵検査に合格したら、お祝いをした。ただし重罪の者は兵役に服すことはできなかった。
 兵役は常備兵役(現役、予備役)、後備兵役、補充兵及び国民兵役の四種に分かれており、現役は満20歳に達した者が服した。志願兵は17歳から可能。
さらに詳細⇒国防の常識~昭和十年大日本帝国軍~

入営祝い
 12月は全国の健康な青年が軍隊に入営する月で、在郷軍人が祝辞を述べ、演説をし、送別会を盛大に開いた。
 入営者を送る演説例文の抜粋。
「予は地方青年団を代表して、××君の入営せらるるを歓び送る者でございます。また君の勇んで入営せらるるを見ては、予一個人としても悦ばざるをえません。父母を忘れ、郷里の懐かしきをも忘れ、ただ国あるを思い、皇あるを知って、走って営門に赴くということに至りましては、予その勇に感奮し、あえて国家を思わざる訳にはまいりません。」
 その答辞例文の抜粋。
「これ程まで懇切なる御待遇に対し、諸君の御期待遊ばす程の働きをなして、報恩するのできうるや否やは、私自らも疑う処でございますが、精神一対何事かならざらんということもございます故、私は諸君の御期待の万分の一かは存じませんが、骨を粉にする迄も、又身を砕くまでも、国のため、皇のため、はた諸君のために大いに働く考えでございます。」

租税と税金
 国税
 直接税⇒地租、所得税、営業税等。
 間接税⇒酒造税、醤油税、砂糖消費税、関税等。
 地方税
 特別税⇒地方自治団体の税。家屋税、戸数割、段別割、等級割等。
 付加税⇒地租、所得税、営業税に付加して課税。

敬礼

貴人と道中で行き逢った時の作法
 約10メートルほど手前に止まり、斜め右を向いて両足を揃え、両手を膝頭まで下げ、敬礼をする。帽子を被っていたら、右手で脱ぎ、裏を右腿に当てて同様に敬礼。貴人が過ぎ去ってから、右足より進んで自分もその場を去ること。
 同輩は2メートルぐらい隔てて右斜を向いて、帽子を外して一礼。

・新築祝はもちろんですが、失火見舞いと盗難見舞いの手紙例文と見舞い品があるのが、当時らしいです。それだけよくある災難だったのでしょう。

・昭和戦前までは正社員という制度はなく、被雇用者は5年を過ぎたらいつでも解雇されたようです。それどころか、10年以上も同じ職場で働くのは一般的ではない、とまで。ただ突然解雇ではなく、解雇予告をする決まりになっていました。

・愛人の死を悼む例文が掲載されている=当時は裕福な主人がお妾さんを持つのが、世間一般の常識だったのでしょう。


昭和初期の暮らし

戦前昭和に関する書籍


「月給100円サラリーマン」の時代 ──戦前日本の〈普通〉の生活 (ちくま文庫)


戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)


ひと目でわかる「戦前日本」の真実 1936-1945