日露混血少年、満州を脱出する~2

キタイスカヤ街 引用元満州写真館

ハルビンへ向かう

翌日、ヤケシの駅に到着したビクトルは村長の家を訪ねます。そこに母親は来ていませんでした。
次に母の友人の薬局へ入ると、逃亡直前の美人三姉妹がいました。ウクライナ人である姉妹たちは「今すぐ、逃げなさい!」と驚きながら忠告します。
もし母と会ったら、あなたのことを伝えるから、と食料とふつうの服を用意してくれ、ハルビン行きの列車に乗せられます。
その日以降、ビクトルが馬に乗る機会はありませんでした。

その翌11日、ヤケシの村はソ連軍に破壊され、村長は銃殺されました。

チチハルを経由してハルビンに到着したビクトルは、キタイスカヤ(中央大街)を目指します。そこはハルビン一の繁華街で、北満のパリと呼ばれるだけあり、美しいヨーロッパゴシック風の街並みでした。
19世紀末、東方進出の牙城として帝政ロシアが作ったハルビンの街は、幸いにもソ連軍の空襲被害は郊外だけに終わり、街そのものは無事でした。

洒落たマンションの4階に入ると、母の友人であり父の留守の事務所を預かるガーリャと再会します。
部屋の奥には、ビクトルが大の苦手な佳乃伯母さんとその家族、親戚、いとこたちがいて、みな驚愕のまなざしを向けます。伯母さんたちも軍人官舎からここまで逃げたのでした。

そこにも母はおらず、母がマンションにやってくるまで、ビクトルは滞在することにしました。しかし、堅苦しい父方の親戚たちになじめず、一日のほとんどをハルビンの街で過ごします。

窮屈なハルビン

1945年8月18日、満州国皇帝溥儀の退位式が行われ、13年5ヶ月続いた満州国は消滅しました。同日、ハイラル市は陥落、激しい戦闘の末、三河地方はソ連軍に占領されます。祖父フョードルは連行され、モスクワで銃殺されました。

ビクトルがハルビンに着いたあと、続々と父の会社の人や家のお手伝さんたちも到着します。人がたくさん死に、とても戻れそうにない状況でした。

8月20日、ソ連軍はついにハルビンに入城し、兵士たちが略奪と婦女暴行、殺戮を繰り広げます。最前線で戦っていた彼らは囚人兵たちで、命を危険にさらす代償に略奪の自由を与えられていたのです。
日本人の若い女たちは髪を乱雑に切り、顔に墨を塗り、家の中に隠れました。
男たちはソ連兵に見つかると逮捕、連行されてしまうため、息を潜めて隠れます。「男狩り」は9月上旬まで続いたといいます。

街を行き交うソ連兵と便衣服の中国人に混じって、ビクトルはハルビンを駆け回りました。ロシア語を話せる少年に囚人兵たちは親切でした。故郷の子供たちを思い出し、ビクトルを可愛がります。
そんな囚人兵たちをソ連軍では見下しており、ささいなことで憲兵と正規軍は彼らを殺害していました。死体になった囚人兵の片付けを、ビクトルが手伝ったことがあるほどよくある出来事でした。

数日後、ハルビンの街がいくらか落ち着きを取り戻しますが、略奪や暴行を恐れた親戚の子供たちはだれも外出したがりません。
仕方なくビクトルがひとりで街を散策していると、同い年の日露ハーフの少年と友達になります。父がロシア人、母が日本人のパーシカは国民学校の生徒でしたが、非常事態で勉強をしなくていいことを喜んでいました。

たがいにロシア語を話せることですぐに打ち解け、ビクトルはパーシカからグループの友達を紹介されるのですが、タカギ君と呼ばれるリーダーの少年は見るから不良でした。
タカギ君率いるグループはバザールで窃盗を生業にしていました。かっぱらい――盗みに抵抗のあるビクトルは、盗品を売りさばく仕事を自ら引き受けます。
人懐っこいビクトルはどこへ行ってもソ連兵にかわいがられ、たくさん売り上げました。タカギ君は感心し、「特別報酬」をビクトルに与えました。

威張って少年たちをこき使うタカギ君でしたが、根は小心者でした。ひとりでは何もできないことを、ビクトルは見抜いていたのです。
「商売」を初めてからビクトルは朝から夕方まで家に帰らなかったものの、マンションには家を接収された知り合いたちが続々と押しかけ、しつけどころではありませんでした。

ある日、バザールで売られている大魚に目をつけたビクトルたちは、漁で砲弾を使うことを思いつきます。ハイラルでソ連兵たちが使っていたのを目撃したことがあったのです。
ハルビン郊外の三果樹駅の手前にかかっている大きな鉄橋の下には、関東軍から接収した武器弾薬がたっぷりと置かれていました。
ビクトルはソ連兵が警備するなか、腰ほどの高さがある草むらに隠れ、じりじりと移動し、見つかれば子供が遊んでいるフリをし、鉄条網に囲まれた弾薬置き場へ匍匐前線で近づきます。
砲撃の弾は数え切れないほど転がっており、ビクトルは両腕に弾を抱えて無事、仲間のもとへ逃げ帰ります。
そして中洲から川の上流へ向い、淀んだ場所で思いっきり砲弾を投げて水中で爆発させました。下流では仲間たちが流れてくる魚を捕らえます。
釣ったと偽りつつ、売った魚は飛ぶように売れます。中国人は鯉や鮒、ロシア人はナマズをスープに使い、とくにソ連兵は気前よく買ってくれました。

ある場所に日本兵やソ連兵の死体が転がっている場所がありました。すでに死体はあらされ、金目の物は全て中国人に剥ぎ取られていました。
ビクトルは何度かその場所に入りました。暑い夏で死体は黒く溶けて腐乱し、金歯だけが光り輝き、それをペンチで抜きます。金歯をしていたのは日本兵だけで、思いついたのはタカギ君です。仲間たちはいやいやながら、命令されるまま手伝いました。

満州の日本人商人一家

父の帰還

秋、音信不通だった父仁吉が、中国服姿でボロボロになってハルビンに帰宅します。
仁吉はハイラルの部隊で伝令に配属されるも、白系ロシア人のやりとりで「日本軍は崩壊寸前」だと察知し、逃亡する機会をうかがっていました。
あるとき、司令部に向かう道中、仲間たちともに逃亡するも、草原でソ連軍から発砲されます。仲間たちは撃たれ、仁吉は死んだフリをして難を逃れました。
命からがら仁吉はしばらく中国人村に潜伏し、単身、ハルビンに帰ってきたのでした。

親戚中は仁吉の無事を喜び、ビクトルも同様だったのですが……。
父の説教がまた始まり、うんざりします。
そして3人の弟たちが母と馬車に乗って逃げたのを聞くなり、仁吉は、弟たちを古賀家の親戚に預け、妻のクセーニアだけ逃げればよかったのだ、と吐き捨てるようにつぶやきます。
その一年ぐらい前から、両親がしょっちゅうケンカをしているのを、ビクトルは見ていました。(その数年後、両親は日本で離婚します。)

1946年春、砲弾を盗んでいるさなか、ビクトルはついに共産党軍に狙撃されます。
そのころハルビンはソ連軍が撤退し、その後国民党軍と内戦中の共産党軍が統治するようになりました。

脇腹を撃たれたビクトルは砲弾をその場に置き、30分血を流しながらなんとか走り続けます。
共産党軍の野営陣地に到着したら、日本人の衛生兵たちにテントに担ぎ込まれ、手術で弾を取り出されます。失敗すれば絶命の危険があるほどの怪我でした。
そのとき命を救ってくれた衛生兵「ヒロセさん」を、生涯、ビクトルは感謝します。

共産党軍が統治を始めると、ハルビンでは毎日、人民裁判の嵐が吹き荒れます。資産家、日本軍関係者、特高警察とその協力者たちが、次々と処刑されます。
仁吉は絵の才能を活かし、スターリンの肖像画を描いて生計を立てます。その後、ソ連軍が撤退すると、毛沢東の肖像画を描いたことで、人民裁判と収容所行きを免れました。

そのころ日本人たちのあいだでは、引き揚げがいつになるのかがもっぱらの話題になります。ハルビン以北の満州は国民党と共産党の内戦が続いており、日本人の帰国のめどが立っていませんでした。

7月、アメリカの仲介で両軍は一時休戦。ハルビン市民へ引き揚げの正式発表が行わます。
日本人たちは帰国するための準備に追われますが、仁吉はハルビンに留まると言います。肖像画の受注が数ヶ月先まであるためでした。
当時、共産党に命じられ、医療、鉄道、通信、機械工等、技能のある日本人たちは中国に留め置かれます。結局、彼らが帰国できたのは、1953年のことでした。

父と不仲だったわけでないものの、ハルビンに居場所がないビクトルは、単身、日本へ帰国することを決めます。
父はもちろん、親戚中反対するのですが、一度決めたら引かない性分だからと、しぶしぶ了承してくれました。

母と弟たちはハイラルにもどり、牛を飼って慎ましく生活していると聞いたビクトルは、再会できることを信じながら、ひとりで旅立ちます。


日露混血少年、満州を脱出する~1
日露混血少年、満州を脱出する~2
日露混血少年、満州を脱出する~3