タロット占いとカードの歴史 1~タロットの誕生とエテイヤ

タロット

カードの始まり

発祥はルネサンス期の北イタリア

1442年、北イタリアのフェラーラの領主エスタ家の帳簿に、『トリオンフィのカードパックを購入』。これがタロットカードに言及した最古の資料とされています。
トリオンフィとはラテン語でトライアンフ(凱旋)、英語ではトランプ。16世紀ごろからトライアンフに代わって、タロッキー(タロット、タロー)と呼ばれていました。しかしその語源の意味は、16世紀当時からすでに不明でした。現在でも解明されていません。

15世紀なかばのイタリア宮廷では、すでにタロット・カードはポピュラーなゲームの道具として愛用されていました。
ミラノ領主ヴィスコンティ家とスフォルッア家にあったタロット・カードは現存しており、剣、カップ、コイン、棒、キング、クイーン、ナイト、ペイジの組み合わせは、現代の占い用タロット・パックと変わりありません。
当時、カードは1枚ずつ手書きでとても高価だったため、貴族のゲームに使われていました。庶民向けに印刷されたのが出回るようになるのは、16世紀ごろになります。

ちなみにタロット・カードはどこから、イタリアへ渡ったのかは現代でも謎のままです。トルコにマムルーク・カードと呼ばれるものが現存していることから、可能性として中近東イスラムが挙げられます。

当時のイタリアで、トリック・テイキングと呼ばれるカードゲームのトランプに、新たな切り札を付け加えました。それがのちにタロット・カードとなり、トランプとセットでタロット・パックとなりました。

初期のトランプカード

絵柄の起源

一見、謎めいたトランプ・カードの絵柄の起源は、14世紀イタリアの詩人フランチェスコ・ペトラルカの『トリオンフィ』という歌集だという説があります。
15世紀当時、イタリアのトライアンフ(凱旋)の仮装行列は、トリオンフィが影響を与えました。愛、純潔、死、名声、時、永遠――の順に登場し、後の者が前の者を打ち倒して凱旋する、というストーリーでした。

当時のイタリアではトリオンフィが広く親しまれ、その詩についた挿絵がタロットの図案になりました。挿絵には目隠しをした天使、塔、書物を持った女教皇、死の骸骨、悪魔……等が描かれています。

初期のトランプカード

ゲームとして広まったタロット

マルセイユ版と呼ばれるタロット・パックは現在でも占いでよく使用されますが、もともとフランスのマルセイユで作成されたものではありません。イタリア等で作られたタロット・パックを元にして作成され、カードの数字(順番)とともにマルセイユ版がスタンダードになりました。

まず北イタリアでタロットはカードゲームとして始まり、やがてミラノからフランスとスイスへ広まりました。16世紀ごろにドイツ、オーストリアでカードゲームがあった記録が残っています。
剣、棒、カップ(聖杯)、コインの図柄が、オーストリアのカードでは、スペード、クラブ、ハート、ダイヤへと変化します。
そしてヨーロッパ中へ広まるのですが、イギリスとスペイン、ポルトガル、アメリカへは流入しませんでした。


T0974 【18世紀に生まれた最古のタロット】ニコラ・コンヴェル版 タロット・デ・マルセイユ

占いの歴史

起源はジプシーの占い?

タロット占いは古代エジプトが起源。ヨーロッパを放浪するジプシーの女性が、客商売としてタロット占いをする光景――そんなイメージが一般的ですが、その説が広まったのはそう昔ではありません。
18世紀のフランス学者が書いた『原始世界』という本で初めて言及されたのち、19世紀に出版された『ボヘミアンの歴史』にて再度、取り上げられたことで「タロット占いはジプシー起源説」が広まりました。
たしかにジプシーの女性たちは占いで生計を立ててはいましたが、タロットではなく手相占いがメジャーでした。流浪の民にロマンを抱いたヨーロッパの人びとのファンタジーだったのです。

では、いつからタロット占いは始まったのでしょうか?

…………はっきりとした起源はなく、中世のさいころ運勢占いから派生したという説が有力です。その後、カード占いへと変化し、1540年に書かれたヴェネチアの本『思索の庭と名付けられたフォルリのフランチェスコ・マルコリーノの運勢』が、最古の記録とみなされています。

ただ当時の占いはカードそのものに意味はなく、質問リストから内容が近いものを選び出し、該当するページを開いてカードを2枚引きます。
そのページには2枚のカードの組み合わせによる、45パターンの占いの答えがあり、該当する組み合わせをお告げとして読むだけでした。

1940年ごろのタロット占いイメージ

職業占い師エテイヤの登場

エテイヤ――本名ジャン・バプティスタ・アリエット。元の職業は穀物商人、”自称”「代数学の教師」。彼は近代ヨーロッパの都市で初めて自ら「職業占い師」と公言した人物です。
夢解釈、カード占い、ホロスコープ(占星術)を生業としながら、1870年処女作を出版します。『ミスター***によるカードのパックとそれの使用を楽しむ方法』は、世界で初めてカード占いの方法を記述した、画期的な本でした。
まだタロットという言葉はなく、カードリーディングはもちろん、コーヒー占い、卵の白身占い等といった雑多な占術が含まれました。
その3年後、カードリーディングが好評だったのでしょう、エテイヤはそれのみに焦点を当てた書物を出します。『カードの唯一の読み方。著者によって訂正され、改められ、加筆されたもの』。

さらに1783年にエテイヤは本格的なタロット占いの本を執筆。『タロットと呼ばれるカードのパックで楽しむ方法』は2年間に4分冊で出版されます。タロット占いの具体的な方法論が書かれた初の書物は、その後のタロット占いの流れを大きく変えることになります。

初期のトランプカード

そもそもタロット占いはいつだれが始めたのか、定かではありませんが、カードは流通していました(ただし入手は難しかった)。ある回想録では18世紀の始めごろ、ロシアの13歳の奴隷少女が、タロット・カードでひとり占いをしていた記録が残っています。
学のない庶民たちが、人から人へ口伝で静かに広まっていた占いを、エテイヤが初めて書物としてまとめました。

前述した『原始世界』に影響されたことで、エテイヤはタロットを古代エジプトを起源としたカード占い、と位置づけます。タロット占いにオカルティックが加わった始まりでもありました。
『原始世界』の作者クール・ド・ジェブランはフリーメーソン会員であり、そこでは「秘儀伝授結社」としての機能を持っていました。つまり、選ばれた人びとのみによる人類原初の秘匿された知識を、儀式によって新たな会員に伝授していくというもの。
元は石工たちの結社だったフリーメーソンは、エジプト人によって建造術を発明されます。その発明はトート・ヘルメスで、その古代の叡智は、ソロモンが建てた神殿の幾何学の中に秘められたものだと。
その教えが『原始世界』のタロットの起源は古代エジプトにつながったのでは、と言われています。

ただし、それは事実ではありません。ド・ジェブランが生み出したファンタジーですが、当時のフランスは「イリュミニスム」の時代でした。
イリュミニスムとは、催眠状態で霊界からの通信を受け取り、普通の人びとの知らない事柄や形而上的メッセージを受け取ることを言います。神秘的な儀式を通じて未知の叡智を知ろうとする流れは、やがて神智学サークルへと継承します。

古代エジプトをイメージしたアルカナ「恋人」

『原始世界』に影響を受けたエテイヤは、タロット占いを古代エジプトを起源とした占いとし、流布していたマルセイユ版カードを改変して、1789年、新たにエテイヤ版カードを作成します。
エテイヤ版カードは順番を大胆に入れ替え――いや、古代文書をもとにした正しい順番に戻しました。
なにせあの大学教授のド・ジェブランが「タロットが古代エジプトの哲学を含んだ完全な本である」と述べているのです。それが後ろ盾となり、古代エジプトにいた賢者マギたちの考案だと、エテイヤは著作で堂々と宣言しています。

1790年、エテイヤはパリに魔術の新しい学校を作ります。息子が二代目となり、弟子たちがエテイヤの理論をまとめた本を出版しますが、1791年に死去します。
フランス革命のさなか、パリを中心として人びとの不安がタロット占いを爆発的に流行させます。奇しくも、エテイヤのタロット・パックが発売された年が、フランス革命の年でもありました。


タロット占いとカードの歴史 2

The original Major Arcana cards | Flickr古代エジプトをモチーフにした大アルカナ


【タロットカード】ワンダーランド・タロット(缶入り)
↑アリスのイラストがとても可愛いです。


参考文献

タロット大全―歴史から図像まで