初心者でも簡単に個人商店を開店できます(昭和3年)2

小泉癸巳男 「千住タンク街」 (1930)
続・商売種別ごとのノウハウ

※参考難易度 ★⇒易しい ★★⇒普通 ★★★⇒難しい ★★★★⇒初心者には厳しい

・万年筆店★★★
……競争が激しい商品。暴利があるからといって、無名の粗悪品を売ってしまうと店の評判を落としてしまう。舶来品(外国産)は高級商品であるから、開店時に取り扱う必要はない。国内製造のパイロット万年筆とサンエス万年筆だけでも充分である。パイロット万年筆を製造している並木製作所は、月に1度講習会を開いており、日程は10日間。宿舎があるので汽車代だけですむ。講習会に2度参加すれば製造知識の玄人になり、自分で万年筆が修理できるようになる。店の場所は官公庁や学校、オフィスにほど近い繁華街が適している。商品が極小さいため小さな店舗で良い。万年筆のほかにシャープペンシルを取り扱う。利益はおよそ2~4割程度。

昭和9年の化粧品問屋

・喫茶店★
 ……3、4年前から町の随所に登場しており、素人のご婦人に適した商売。仕入れは簡単でコックと女給を一人ずつ雇えばすむ。女給は美しくある程度の教養――女学校2、3年程度があれば良い。現代的な客層に対応しなくてはらないため(本書では書いてませんが、知識人や文化人といった男性客のことでしょう)。だからといってモダンガールを雇うとコーヒーゴロ(貧乏学生や売れない作家?)が居着くようになってしまう。店内は明るくして奇抜さを狙わず、一般的な装飾にすること。用意する商品としては、コーヒー、紅茶、ココア、チョコレート、コカコーラ。洋酒――コニャック、ウィスキー、ブランデー、ワイン等。果物――リンゴ、バナナ、ミカン等。缶詰。店内には蓄音機を置く。広さは4坪あれば充分である。コーヒー一杯の値段は、50銭~1円程度。利益はコーヒー等の飲み物が約6割。洋酒はとくに儲かるので、日に5、6杯ほど出れば店を回せる。ただし果物や菓子の回転が悪いと、腐らせてしまうため仕入れはよく考える必要がある。店の場所は大通りや繁華街が適している。

・靴店★★★
 ……下駄屋や雑貨屋とは異なり、高級商品を扱うため少資本では商売を始めにくい。それでも開店する場合は、公私立中女学校の校門近くが適している。女学生客相手に婦人学生靴ならば安定した売上を見込める。女学生好みの新型商品を複数仕入れ、ほかに子供靴、運動靴、クリーム、ブラシ、靴ヘラ、紐、敷皮、ガーター等。あと女学生用の登校用鞄を陳列する。学生相手だから親も同伴するため、接客は丁寧するよう心がける。値段は正札を守り、駆け引きはしないこと。クリーム等の消耗品を安くして、他店と差を付ければいいかもしれない。

小泉癸巳男 「中央気象台」 (1933)

・蓄音機店★★
 ……ラジオが登場したとき存続が危ぶまれたものの、好きなときに好きな音楽を聴きたい客が買い求めるため、かなりの需要がある。音楽好きなら格好の商売。知識がなくても客が教えてくれるため、1年もすれば詳しくなる。およそ和楽が8割、洋楽が2割。ラジオ番組が音楽を流すのでそれが宣伝となる。それを聴いて気に入った客がそのレコードを買い求める。種類を多く品数は少なくして、小さな商店でも1000枚はレコードを揃えること。何々の音楽を聴きたい客の要望にこたえないと、レコードは売れない。蓄音機とレコードは製造所から仕入れ、定価で売る協定を守る。洋楽物ではポリドール、日本ビクター、日本コロンビアが有名。およそ2~3割の儲けだが、最も利益があるのが針で5~6割。商売はレコードのみならご婦人でもいいが、機械を扱う場合は詳しく説明できる男性が好ましく、客が安心する。

・薬剤店★★★
……頭痛や食あたり等、医院を受診するほどではない不調のときに足を運ぶのが薬剤店。薬には流行がなく3割から4割の利益があり、素人が始めるに適した商売である。雑貨化粧品と兼業することもでき、外国では食料やワインも売っている(いわゆる現代のドラッグストア)。開店は同業者が少なく、商工労働者が多い場所は安価な有名商品、知識階級が多い場所はその逆を扱えばよい。店内は清潔に明るくしてお客の健康相談にのることが求められる。開店の際は県庁や警察署へ届けるのと、医薬品を売るための『薬種商試験』に合格して免許状を取得しておくこと。ちなみに薬剤師になるには相当の学歴が必要。

・手芸材料店★★★
 ……文化的なご婦人の趣味として適しているのが手芸。外国の婦人は暇さえあれば編み物をしており、その流行が日本で始まって店が増えてきた。冬は首巻き(マフラー)やセータを編むための毛糸、夏は子ども用の服地が売れる。近年、非常に流行している手提げ袋や財布を作る南京玉(ビーズ)や造花、人形を作るクレープペーパーを始めとして、ニッチング用のリリアン、フランス刺繍材料、タティングレース材料、日本刺繍材料……などなど。扱いが多岐にわたる。しかも流行が早く、つい最近まで人気だった商品がたちまち下火になる。奥さんや女学生相手の商売だから、店の場所は住宅地か女学校付近が適している。女学校での授業で使用されるので、そこの先生に話して生徒用の材料を引き受けたり、店に講師を読んで講習会を開いて売上を増やすのが良い。

資生堂広告 大正14年

・造花店★★
 ……日本ではまだ少ないが外国では店や部屋の飾り付けで需要が多く、将来有望な商売。名古屋等の田舎では自然の花が安く売られているが、東京や大阪では高価な花屋が繁盛している。開店するにはある程度の技術が必要で、完成品を買うより自分で造花をするとずっと安くすむ。材料を内職で半完成品にして、店番をしているあいだに花と枝をつけたり、花輪を作って完成させるのである。花や紅葉のほかに万国旗、一輪挿し陶器、経木モール、クリスマス用の金の玉、守籠を売る。儲けは大きくないので副業が適している。

・紐店★
 ……羽織の紐、帯締め等を商う店。商品は小さいからこじんまりとした店で充分であり、フランス人形等を置いて小綺麗にしておく。婦人物は流行が早く、京都製や東京製が粋とされる。商品を仕入れるさい、人絹か本絹かを見極めて粗悪品を客に売らないよう気をつける必要がある。紐だけでは商売が成り立ちにくいため、ビーズや毛糸といった手芸用品や子供用品を一緒に売ったほうがよい。ただし、毛糸は1割5分程度で利益が少ない。

・ゴム製品店★★
 ……(昭和3年当時)ごく最近始まった新しい商売。とくにゴム靴は4~5年前に登場して盛んに売れた。扱う商品はゴム靴、ゴム底地下足袋、運動用ズック靴、自転車チューブ、タイヤ、甲皮ゴム底靴、防水外套等。ゴム靴は10、11、12、1月に売れるが、夏にはほとんど売れない。そのため専門店として商売をするのは難しく、メリヤス雑貨類と兼業する店が多い。店舗がまだ少なく、人通りの多い場所が適している。店内は直射日光を避けてガラスを嵌めるようにする。ゴムの耐久性は短く、1年もすれば弾力がなくなってしまうため、箱におさめて保管しておくこと。商品を積み上げるのは厳禁。利益は3~4割ほどだが、ゴムの原料は南方から輸入されるため相場の変動が激しく、投機目的で在庫を多く抱えてはならない。売れそうな商品を少量扱うのが良い。

小泉癸巳男 「戸越銀座駅(荏原区)」 (1932)

・子供服店★★★
 ……近年は洋服姿が増え、女学生は過半数(おそらく制服のこと)、街の婦人は1割、子供に至っては8割を占めている。デパートメントストアでは子供服の店が増えて専門店があるほどだ。ただ一般のご婦人――いわゆるタイピスト、事務員、商店の売り子、飲食店の女給はまだ洋服姿は少ない。ただ外出の際、動きやすいから便利だと言って洋服を着る婦人が増えてきているから、将来、有望な商売であろう。洋服は型紙が肝心であり、日々、流行の変化を追うことに注意を払う必要がある。少資本だと商店街に出店するのは難しいが、それなりの場所で開店したとしても、カーテン等での色焼け対策を忘れてはならない。長時間日光が当たると商品が色あせてしまい、1年でおよそ1割ほどロスが出ると見込んでおくこと。高価な舶来品を買い付けなくても、最近では国内品でも良品が増えているので、そちらで揃えたほうがいいだろう。

・洋食店★★★★
 ……菜食だった日本人が、肉を食べるようになったのは明治維新以降。高価だったため当時は上流階級の専用料理だったが、(昭和3年)現在は庶民向けの洋食店が多くある。準外国式の高級洋食店はもちろん、普通規模の洋食店でも開店資金が5、6千円するので、一品料理店から始めるとよい。ただ素人が洋食店を始めるには専用のコックを雇う必要があり、1千円程度で開店しようとすると店主自らが調理をすることになる。兼業は不向きであり、まずは2、3年程度の苦労(料理人修行?)をすることだろう。店の場所はなるべく目抜き通りに近くし、店舗は混み合うぐらい狭いほうが良い。広いと閑散とした印象を与えてしまうからである。開店当初に広告を配れば、周囲の住宅から出前注文があるだろう。洋食店にはボーイが必須だが、こじんまりとした上品でない洋食店ならば女給で充分だ。新聞広告に求人を出して通勤か住み込みかを決める。通勤は月給制度、住み込みは食事付きで客のチップが収入になる。開店時間は朝10時から夜の11時で通勤制度の店が一般的である。カツレツやビフテキといった定番メニューは儲けが少ないが、客への見繕い料理で利益を上げられる。

小泉癸巳男 「三井と三越」 (1929)

・ビーヤホール★
……カフェー、喫茶店、洋食店を混在したような商売で、素人でも簡単に始められる。目抜き通りから少し外れた場所で、勤め帰りの銀行会社員や学生を相手にする。純粋なビーヤホールだと夏場しか利益を出せないので、ビールはもちろんバーのように洋酒や日本酒、一品料理、果物、菓子を用意する。ビールは生ビールを始めとして、キリン、サッポロ、アサヒカブト、ユニオン。女給は是非とも雇うべきであり、ちょっとした客のからかいを楽しめる、化粧をした若い女が向いている。いわゆるモダンガールである。雇用は洋食店同様。コックテイル(カクテル)は混合酒で百数十種類とあるので、バーテンダーやバトラーがいない小規模店舗は、よく出る2、3種類だけ出せるようにしておく。兎も角、儲けのボロイことは請合いである。(原文ママ)

・帽子店★★★★
 ……4,5年前まで洋品店が取り扱っているが、種類が少なく客に不満を与えていた。流行が激しくファッション化した現在、専門店として充分にやっていけるだろう。新時代の商売である。できれば商店街や盛り場で開店し、展示用のショーウィンドウは必須である。新聞広告を打ち、店舗にはパンフレットを置く。教養のある客を相手にするため、店員からは口添え(アドバイス)をしないほうが良い。アメリカでは春と秋に製品競技会を開催し、決定した帽子の写真をザ・アメリカン・ハッター誌に掲載する。その雑誌を模倣して日本の帽子を製造するので、流行遅れになりそうな売れ行きの良くない商品はすぐに値引きをし、在庫を手放す。特に麦わら帽は夏が終わる前に、原価程度に値引きしないと、次の仕入れで困る事態になる。麦わら帽は横浜製品、いわゆる「濱物」が高級品として有名。外国製としてボルサリーノ、モサン、ムーア、ステッソン、ハードマンがあるが、小規模商店では高級すぎて扱いづらい。とにかく素人が始めるには難しい商売。

・楽器店★
……洋楽器が対象。都会では嫁入り前の娘さんがヴァイオリン教室や声楽教室に通っているが、地方ではまだまだ需要が少ない。だからラジオ店や書籍店、玩具店が兼業すると良い。これから少し練習してみたい、という客のためにベビー・オルガン、マンドリン、ハーモニカ等を置く。流行の変遷が少なく仕入れも簡単なので素人でもすぐに商売ができる。製造元も限られ、ピアノ、オルガンは山葉(ヤマハ)、ヴァイオリン、マンドリンは鈴木製となる。手芸店同様、趣味として普及させて販路を作る必要がある。講師を招いて講習会を開いたり、近くの女学校や教習所での音楽会を後援するように努めるようにする。

小泉癸巳男 「愛宕山放送局」 (1932)

・ラヂオ店★★
 ……最近始まった商売。ラジオが登場したときはボロ儲けできるほど売れたが、現在は落ち着いた。放送局は東京、大阪、名古屋、京城、大連の5ヶ所だけだが、今後はどしどし開局する予定。音楽、報道、講演、家庭向実用情報を、自宅で手軽に楽しめる娯楽として人気がある。開店するには放送を聴ける範囲にしないといけないが、そうでない地方は書籍店や蓄音機店と兼業すればいい。客は老若男女問わず幅広く、そのうち日本全国家庭に1台の時代になるだろう。およそ50万人が聴取料を払っており、無断聴取者を含めれば百万はいると思われる。高級な商品は注文があれば置き、あとは安いラジオ受信機と部品を扱えばよい。小中学生がお小遣いを貯めて、鉱石ラジオの組み立て部品を買いに来る光景をよく見かける。鉱石ラジオに物足らなくなると、単球式ラジオを買い求める。素人でもできる商売だが、客が機械のことを理解していないため、基本的なラジオの知識が必要になる。

・煙草店★☆
 ……法律で禁止された未成年はともかく、昔よりずっとご婦人の喫煙が増えた。粋な筋のご婦人はほとんどといっていいぐらい煙草を吸っている。近頃は堅気の奥様まで喫煙しているほどだ。煙草は小さくて場所を取らず、自家広告と宣伝が禁止されているのもあって、子供でも簡単に商売ができる。奥様の副業にも向いている。仕入れは販売外交員が週に一度訪問してくるから、問屋へ買い付ける必要がない。ただ、開業するまでが難しい。まず煙草小売人指定申請書を専売局に提出し、申請の許可を待つ。およそ2、3ヶ月ほどかかる。許可が出そうなときは専売局から、店舗の構造や開店場所を問われる。近辺に煙草店がなければようやく許可が降りる。ただし人通りの多い場所だとその限りではない。法律的に優先順位として、第一に廃兵、第二に遺族、第三に専売局職工で怪我をした10年以上の勤続者、である。それらの志願者が同じ場所にいなければ、販売許可が降りる。会社銀行役所の勤め人や工場通いの者が出勤時に客として来るから、朝早く店を開けなくてはならない。客は急いでいるのでチンタラしていると、二度と来なくなってしまう。商売には機敏さが求められ、人気銘柄の「敷島」「バット」「アサヒ」は取引台の上に並べておくようにする。

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・玉突店★
……スポーツブームの今、室内運動ができる玉突き(ビリヤード)は、サラリーマンの昼休憩や風呂屋の帰りに気軽にできる。玉突き店は増加して繁盛している商売だ。仕入れに苦心せず力仕事がないのでご婦人に最適である。料金は各地の組合規定があり、値切り客を相手にせずにすむ。一人客の相手は何百点も突く親父より、30点ぐらい取れる愛嬌のよいご婦人が向いている。素人でも1ヶ月も自店で練習すれば習得できる。闘争心を煽るために、50、100連勝した客に景品を渡すと繁盛するだろう。常連もつくようになる。玉台にはブラシをかけ、象牙の球は丁寧に磨いて丁寧に扱うこと。象牙は急激な温度変化に弱くヒビが入ってしまうため、室内温度に馴染むまで使用してはいけない。

・洋品店★★
 ……洋品店といっても少資本で始める場合は、メリヤス屋に近い商品にすること。場所が大事で、都会と郊外の中間ぐらいが客の入りが良いだろう。ショーウィンドウやガラスケースが必要で開店資金がけっこうかかる。毛のシャツのような高級品は在庫を最小限度にし、売れたら問屋へ買いに走る。よく売れるのが大人と子供のシャツと靴下で、売上高の半数以上をしめる。外交員が売りに来てもよくよく品物を吟味し、安価で良質な商品を選ぶ必要がある。売り場の商品としては、シャツ類、婦人物(下着)、ガーターや靴下類、サル又(ズボン下)、タオルハンカチ類、カラー類、エプロン、メリヤス物(編み物、ニット)、ネクタイ等を陳列する。ワイシャツやネクタイ、カラーはあまり売れないので在庫はできるだけ少なくしておく。帽子、化粧品、洋傘等は置かないよう注意する。(理由は書いてませんが、不良在庫になりやすいという意味?)

・袋物店★
 ……袋物とは財布(銭入れ、紙入れ)で革製と布製や、刻み煙草を入れる腰下げと巻き煙草を入れる懐中持ち、ほかに煙管、シガレットホルダー、パイプ、スポンジ袋、空気枕、シース(ナイフの鞘や万年筆ケース)、守り袋、財布の紐等がある。流行がなくだいたい5年ぐらいが転機で大きな変化はない。商品は種類多く数は少なく陳列すること。高級な煙草入れは2、3個もあればよい。財布は丈夫な商品を選び、高価なものはあまり売れない。ショーウィンドウは効果的だが、皮革製品は日光に弱く、派手な女物は日焼けしやすいためとくと注意する。袋物は利率が良く、化粧品、煙草店、小間物店が兼業すると相性が良い。

小泉癸巳男 「築地魚河岸市場」 (1937)

以上、昭和3年当時に個人商店を開業するためのノウハウ集でした。
個人的に感じたのは、生鮮食品を扱う八百屋、魚屋、肉屋がないのと、雑貨店や、乾物屋や食料品店等が入ってないのが意外でした。素人が始めるには扱いが難しいのかもしれません。文具店はともかく、楽器店や靴店、手芸店を軌道に乗せるには、学校の教師と仲良くなるのが確実かつ、てっとり早いようです。現代でも学校の特約店になれば文房具店や制服屋は生き残れますから、これは変わらず、といったところ。
あと喫茶店が現代のバーに近い形態だったのが昭和らしいです。女給=ホステス状態。その名残は戦後もあって、80年ごろまで学生が喫茶店でたむろすると「不良」と呼ばれていました。
この書籍のとおりだとすると、昭和初期にタイムスリップして路頭に迷いそうになったら、金物屋が一押しですね(笑)。次点でカフェ。 逆に薬剤店、帽子店、洋食店を出すと険しい道のりになりそうです。そもそもこれらは、素人開店ノウハウ集に載せる必要があったのか、と疑問に思うも、読者から要望があったのかも???

初心者でも簡単に個人商店を開店できます(昭和3年)1