初心者でも簡単に個人商店を開店できます(昭和3年)1

小泉癸巳男 「洗足池雨情」 (1937)

昭和3年に名古屋広告協会が出版した書籍『一千圓開店案内』が、国立国会図書館アーカイブで公開されています。それを読んでみると、当時の商売についてのさまざまな事情を知ることができます。

タイトルにある一千円ですが、現在の物価と比較するのは難しいです。さまざまなサイトを検索して調べてみると、品物やサービスによって価格の上昇が異なっており、一概に昭和初期の1円=現在の何円と断定できません。その幅、およそ630倍~3000倍。

ちなみに昭和初期のサラリーマンの月収は約100円で、現在の20万円だとすると、およそ2000倍。
一千円=200万円だと、読めば適当でしょうか???
200万円で開店できるのか?、という疑問もありますが、あくまでも個人が手軽にできるのが大前提のノウハウ集ですので参考までに。

名古屋広告協会では『商売界』なる商店雑誌を5年前(大正14年)から発行していましたが、『一千圓開店案内』の連載が大好評だったため、反響を受けて独立した書籍を出版しました。
それだけ当時、個人で商売を始めようと考える人が多かったのでしょう。今でいう脱サラです。一千円=少資本とあるので、内容は庶民向けとなっています。漢字すべてにルビがふってあることから、学のない人でも読めるよう配慮しています。

小泉癸巳男 「兜町取引所」 (1937)
昭和3年に初心者が個人商店を始めるあたって

・個人商店が大店舗に対抗するためには、品種を多くして品物を少なく仕入れること。客は目的の商品がないと去ってしまうから、種類を揃えるのは大事。しかしまとめ買いが安いからといって、問屋から大量に仕入れてしまうと不良在庫になってしまう。品切れをおこさずこまめに少量の不足在庫を仕入れ、商品の回転率を高めるのが重要。

・専門性を図れば百貨店にも対抗できる。○○が欲しくなったらあの店へ行けばなんでもある、と客が買い求めるため。しかしそれには、経験が必要。商品や商売の知識を得るために、同業店舗で雇われとして働くことが大事。あるいは家族や親戚に同業者がいること。

・個人商店では人を雇うと人件費がかかるため、主が不在時でも対応できるように家族の協力が欠かせない。また勤め人の自分ではなく、細君(妻)に商売をさせて家計の足しにしたい場合は、仕入れが簡単で値段や品質が安定している商売がふさわしい。その代表例が、化粧品と煙草。

・開店には場所が大事。少々、場所代が高くても、回転率が高ければ利益は充分に生まれる。だからといって人通りが多い場所が良い、ともいえない。商売の内容ごとに向き不向きがあるため。あと同業者が多い地域は競争が激しい。ただこれも商売の種類による。その土地が商売に向いているかも重要であり、工場地では職工服、造花屋は上流階級の多い街などなど。

・看板は非常に大事。看板がないと、いくらショーウィンドウに商品を並べても、それが何の店なのかわかりづらい。店の印象を良くするための看板作成注意点。奇をてらうものを作らず、商品と不調和なものを作らず、強い刺激を与えず、文字は読みやすくわかりやすく、点滅式看板は神経過敏になるからおすすめできない。夜は照明を使って照らすこと。

小泉癸巳男 「新宿街」 (1935)

・商店の入り口は広く明るく。江戸時代のような重く薄暗い暖簾は時代遅れである。陳列窓に商品を並べ、ショーカード(商品説明)とプライスカード(値札)をつけておく。こうすると何気なく、ショーウィンドウを見た客に購買意欲をわかせることができる。

・店舗は自宅を改装した狭い場所でもいいが、夏は冷風装置(扇風機)、冬は暖房(電熱ストーブ)が必要。火鉢は商品が燃えたり、近くに寄らないと暖かくないため向いていない。夜は照明で商品を照らすこと。居心地が悪いと客が逃げてしまうからである。

・開店前の広告が大事。10日前に店に貼り紙をしたり、クイズを出して解答用紙と箱を用意して正解した人に開店日に景品を渡したり、新聞広告に折り込みチラシを入れたりする。戸別訪問をしてチラシを配るのは嫌がる人が多いからおすすめできない。通行人の多い通りに立て看板を立てておくのも効果的。はっきりと商品名と値段をわかりやすく書くこと。

・ときに町内連合(商店街)で福引やバーゲンセールを行うと効果的。定価の1割から2割程度の値引きが目安。あとは特価品を用意する。そうすることで大勢の客が来店し、多く売りさばくことができれば、利益が増える。福引抽選の方法としては、紙こよりの抽出しや、柳玉、紙を巻いた小布を掴み出すようにする。電気抽選機は高価なためおすすめできない。

・商売はひたすら笑顔で親切に、お客本位にすること。自分本位で商売をすると客が寄り付かなくなってしまう。

小泉癸巳男 「東京駅と中央郵便局」 (1936)
商売種別ごとのノウハウ

※参考難易度 ★⇒易しい ★★⇒普通 ★★★⇒難しい ★★★★⇒初心者には厳しい

・化粧品店★
 ……初心者でも扱いやすい商品である化粧品。定価販売であり有名商品だと値引きしなくても売れるからである。化粧品はほぼ女性客なので、勤め人の夫を持つご婦人が商売をするのに適している。利益は2割ほどで少ないが、化粧品は女性たちの必需品であるため、堅実に商売ができる。欲を出して無名商品を仕入れてはならない。利益が5割あるがまず売れないし、返品しようにも会社が倒産していることが多いからである。当時の有名ブランドは資生堂化粧品とクラブ化粧品、レート化粧品、カガシ化粧品等だった。それらメーカーの代理店に加入して商品を仕入れる。売れ残りは返品ができた。

・文具店★★
 ……主に学用文具品を売るため、学校の近くで主婦が商売をするのに向いている。田舎は雑貨屋を兼ね、都会は専門店になる。子供が喜ぶ駄菓子を置けばにぎやかになって客が増える。しかし子供だからといって甘く見てはいけない。友達同士で買った品物を比べ合い、○○の店のほうが高かったと親に告げ口するので注意を払う必要がある。ときには学校の教師と交流し、どのような学用品が必要なのかきいておく。いわゆる学校指定品を扱うことで大きく売上につながる。

・玩具店★★★
 ……おもちゃは子供の年齢にあった商品を販売する必要があり、子供相手だから優しい女性が商売に向いている。ごつい髭面の男性だと子供が怖がってなつかない。店内はにぎやかしく派手に飾り付け、子供でも手が届く高さに商品を並べる。日差しで商品が痛むので、ガラス戸棚は使わない。店頭の日除けと、ほこり避けの散水はこまめにすること。おもちゃ屋での大敵は商品の破損である。子供らがじかに持って触れるので、2、3ヶ月たつと黒い指紋が人形などに付着してしまう。なので少々の破損や日焼けは自分で修理して塗装する必要がある。これができないと玩具店開業の資格はない!(と本書で断言しています)

クラブ化粧品広告

・時計店★★★
 ……時計店は高級商品(宝石貴金属含む)を扱うと思われがちだが、少資本でも開店可能。商品の仕入れは柱時計、金銀ニッケルの懐中時計、付属品の腕時計リボン(今でいうベルト?)、金具、皮、時計の鎖、紐、メタルなど。時計はすぐに売れるような品物でないから、1個ずつ陳列し、在庫は持たなくてよい。化粧品同様、小さな問屋からは仕入れないこと。店主が素人だと知ったら、偽物や粗悪品をつかまされてしまうことがある。大問屋として有名なのは服部時計店。入学時、子供に腕時計を買う親が多いので、中等学校や女学校の新入生の住所を調べて宛名式広告を送るのも効果的である(昭和は戦後になっても個人情報保護という概念すらない時代でした)。時計店は修理が儲かるから、商売に慣れてきたら修理専用の職人を雇い、銀行や大企業へ「時計修理の御用聞き」をすればかなりの利益がある。そしてなじみ客として時計を購入してくれるので一石二鳥。

・菓子店★★
 ……素人にも容易にでき、流行もなく、仕入れも簡単、商品の説明もあまり要らない。主にビスケット、キャンデー、進物用缶詰、干菓子、生菓子、カステラなどなど。森永、明治等の製品問屋から仕入れる。生菓子は製造本舗から外交員(営業)が店に直接売りにくる。簡単に開業できる菓子店だが、商品の取り扱いが難しい。とくに梅雨と夏の時期は湿気で菓子が腐りやすく、ビスケットは湿気て、ドロップやキャンディはべとつく有様である。だから適した容器を選び、生菓子は冷蔵庫で保管する必要がある。店舗は清潔にし愛想よくしないと、客が「あの店の菓子はまずそうだ」と思うので注意しなくてはならない。

・履物店★★
 ……日本の履物を売る店。草履、下駄、足袋、鼻緒、傘等。利益率が高く3割から4割程度。特に草履は儲かる。足袋は1割程度で競争が激しいので儲からない。商品上、土間より畳のほうが便利。夏は草履、冬は下駄が売れる。仕入れは外交員より、自分で大問屋へ行って値打ち物を見つけるほうが良い。仕入れ符牒があり、それを覚えれば素人でもあまりバカにされないだろう。仕入れは台と鼻緒を別々に仕入れ、客の好みに合わせて鼻緒を据えて売る。同業者が多く洋装化で下駄が減ってきたが、需要が大きいので将来安泰である。(ただし昭和3年当時)

小泉癸巳男 「早稲田大学街」 (1934)

・陶器店★
 ……陶器店は儲けが多い。利益率はだいたい5割。皿や茶碗、丼には流行がなく、2年3年と店頭に置いても痛むことがない。人通りが多く同業者が多い場所が良い。瀬戸物は品種が多く、日焼けがしないので店同士が競合しない。袖が触れて落下し、壊れやすいので棚には柵が必要。田舎では祝い事で食器を揃えるため、種類を豊富に大問屋から仕入れること。注意しなくてはならないのが、瀬戸物は壊れやすいから、仕入れる際に10個のうち2個が破損されて問屋から届けられるとする。そうなると利益が5割だったのが3割に減ってしまう。上等品になるとしっかり荷造りされるから、壊れる確率が減る。

・書籍雑誌店★★
 ……文化的意義のある商売だから客層は上品。役所や銀行の勤め人の細君が、副業として商売をするのに向いている。場所は学校の近くや学生街がおすすめで、庇の下に雑誌を並べ、客層をよく見て文芸書、家庭向け、子供向け、参考書や受験対策本を置く。浅草、道頓堀、大須付近ならば、映画に関する書籍や小説、娯楽本がよく売れる。雑誌は返品可能だが、書籍は買取になる。だから慣れないうちは売れなかった書籍と交換できる条件で、問屋から仕入れる。定価で販売できるため、素人でも容易である。ただし、書籍組合に加入しないと仕入れに不都合が出る。素人がよくそれで失敗をしてしまう。利益率は雑誌が1割、書籍が2割程度であることから、古書店を始めるのも良い。とくに雑誌は売れ行きが早いため、利益が少なくても将来有望だ。

・パンとコーヒー店★
……朝昼にパンとコーヒーで簡単に食事をすませる店。ミルクホールの変形。パン類とカステラ、ドーナッツ、ワッフル、コーヒー、紅茶、リンゴ、バナナ、蜜柑等を置く。コーヒーはブラジル産、紅茶はセイロンさんがおすすめ。パンは敷島パン等の製パン会社から毎日、仕入れる。古いパンは持って帰ってくれる。椅子、テーブル、コーヒー沸かし、トーストパンを焼く器械(トースター)が必要。喫茶店やカフェーのように蓄音機やピアノを備え付ける必要はないが、官報、県広報、地方新聞、東京の新聞(時事新報、国民新聞)、大阪の新聞(大阪朝日、毎日)を揃えなくてはならない。パンの良し悪しはむずかしいので、ジャムとバターは品質の良いものを出す。客はどの店のパンが良いとかわからないから、それで充分である。現代人(昭和3年)のパンに対する知識は幼稚なものだ。利益は5割程度とかなり儲かる。勤め人の細君の副業として最適。

クラブ化粧品広告

・小間物店★★★★
……婦人の身の回り品と髪飾りを扱う店。簪、リボン、ヘアピン、ヘアネット、洋櫛、造花、化粧品等。小綺麗な商売だが流行の変遷がかなり激しい。べっ甲の櫛が流行したと思ったら、すぐに金物やセルロイドに変わってしまう有様。だからデパートメントやストア等で、常に実地調査をする必要がある。値付けが難しく、品物が多種多様。なるべく種類を多く仕入れ、数は少なくすること。店は狭くして雑多に積み上げるほど売上が良い。店は朝から夜まで長い時間、開ける必要がある。主婦、芸者、女中、女学生、職業婦人等、あらゆる女性客がやってくるからだ。店主は男女どちらでも良いが、あまり立派な服装にしないほうが良い。女性客というものは、自分より優れていると思えばいい気がしないものだ。商品ロスが多いが、景気に左右されないので手堅い商売である。

・金物店★
 ……日常必需品で流行がなく破損しないため商品ロスが少なく、小綺麗である。婦人や子供の商売に向いている。主な種類として最近激増したアルミニウム製、銅、真鍮、ブリキとトタン、家庭必需品である弁道箱、タライ、鍋、皿、匙、湯沸かし、柄杓、水筒、魔法瓶、化粧バケツ、手提げ金庫、鎌等。商品仕入れは種類を多く数を少なくすること。大問屋は親切なところを選べばよい。金物店は不景気どん底のサラリーマン(K君と本書にある)を救った。金物屋を始めたおかげで、貧乏神が去って一家が食えるようになった。筆者の成功例の1つである。

初心者でも簡単に個人商店を開店できます(昭和3年)2

戦前昭和に関する書籍


「月給100円サラリーマン」の時代 ──戦前日本の〈普通〉の生活 (ちくま文庫)


戦前昭和の社会 1926-1945 (講談社現代新書)


ひと目でわかる「戦前日本」の真実 1936-1945