エリザベス朝時代のロンドンと庶民の暮らし

16世紀ロンドン塔


1558~1604年まで在位したエリザベス1世の時代から、1642年の名誉革命までの期間がエリザベス朝です。その当時、ロンドンには王族貴族を始め大勢の庶民が暮らしていました。そのころ劇場が次々に勃興し、シェイクスピアが活躍したのもその時代でした。16世紀に旧ロンドン市(オールドロンドン)と呼ばれた都市に住む人々の文化について紹介します。

17世紀のロンドン地図

エリザベス朝時代の階級と市壁外の人々

1.王侯貴族
2.紳士階級(ジェントルマン)
3.郷士
4.裕福な商人
5.小地主階級
6.農民階級(一戸建てを所有)
7.技能職人階級
8.肉体労働者
9.小作人(地主の小屋に住む)
10.貧民階級(寺院から施しを受ける鑑札持ち)
11.乞食、浮浪者階級(鑑札無し)

1~4までが上流階級。旧ロンドン市民の4割が上流階級だった。
郷士は囲い込みを行って農地を牧場に変えた。そして農民は追い出されてロンドンへ流れ、貧民が増えたことが問題になった。政府が囲い込みを禁止しても効果はなかった。

5以下の庶民は文法学校(グラマースクール)や大学へ進学できず、観劇や書物を買う余裕がなかった。1572年の勅令で教会教区が高齢者、貧乏人、病人を救済する対策が始まった。
ロンドンの市壁の外には貧しい人のほかに、フランスから亡命したユグノー教徒がいた(カソリックとプロテスタントの宗教戦争が当時のヨーロッパ諸国の火種になっていた)。

17世紀ロンドンの北側


同業組合(ギルド)は同業者の埋葬式を確保するために12世紀ごろから始まったといわれ、16~17世紀ごろには福利厚生のための機能を持った。1人の組合長と2名の役員が組合仲間の賃金、労働条件、福祉対策を決定した自治組織である。ほかに立入検査と没収の権限を持ち、ロンドン市場を独占できた。
同業組合に加入できないユグノーたちは、市壁の外で繊維産業に従事した。カーペット、レース、タピスリー、サラサが特に売れ、それらはイギリス製品より優れていたために、職を失ったロンドンの商人と職人が暴動を起こした。

エリザベス朝時代、人口が急激に増えたため市壁の外にたくさんの家が立ち並んだ。原則、市壁の内側である旧ロンドンのみ97の教会教区があったが、市壁外へ行政管区は徐々に拡大した。特別教区に属した人々は出生記録簿と過去帳に登録された。

エリザベス1世

庶民の食糧事情と商売

チューダー王朝のころから街頭での行商が許可され、街には売り子の呼び声が響き渡った。それまでは市場でしか売買ができなかった。
行商たちは野菜、果物、魚介類、花、箒、砂、ブラシ、板材、編み上げブーツ等を売り歩いた。煙突掃除の少年が甲高い声で「煙突掃除だよ!」と叫び、商店街の各商店では丁稚小僧が店頭で呼び売りをした。文字を知らない庶民のために、店頭に絵看板を掲げることが条例で定められていた。チェスができる居酒屋は碁版模様、3個の黄金球は質屋、天使と狐は本屋など。
商店で働く少年たちは6歳になったら、徒弟奉公する決まりになっていた。ゆくゆくは独立して自分の店を持つか、熟練職人として雇われるのが彼らの夢だった。

河川ではドジョウ、フナ、ウナギ、コイが獲れてたが、ウナギは高価だったため庶民の食卓には並ばず、復活祭に燻製にしたものを食べた。泥臭いコイを卑しい魚と呼んだ上流階級は食べなかった。ドッグの河口ではキュウリウオ、マス、カワヒメマスがよく獲れた。
ロンドンの市壁の外には湖沼地が広がり、焼き畑農業をする火がよく目撃された。柳の小枝でカゴや箒とブラシを作って売った。ほかに屋根ぶきの葦、燃料の柴、焼き鳥用の小鳥を捕まえて市場で売った。

郊外の農地を所有している郷士たちは、ロンドンのスミスフィールド市場へ肉牛、ミルク、チーズ、バターを毎朝運んで売った。諸州から運河を使ってリンゴ、ビール、小麦やライ麦が大量に届き、上流階級は小麦の白パンを、庶民たちはライ麦の黒パンを食べた。飢饉のときはドングリやそら豆入の燕麦パンで飢えをしのいだ。
農民たちは野生動物の狐やウサギ、小鳥を食べ、鹿肉パイはごちそうだった。キャベツとジャガイモはポタージュにして食べたが、当時のジャガイモは酸味が強くてまずかったのでスパイスをたくさん使った。

16世紀ロンドン橋

病と迷信

エリザベス朝のころはまだ迷信が根強く残っており、庶民は病気にかかると祈祷をした。ヤブ医者たちは採取した尿を簡易検査表で健康を占った。
薬草治療が主であり、僧院や村で育てた薬草を病気や怪我の予防治療に使った。痛風の煎じ薬、待雪草、弟切草、ラベンダー、ヘンルーダ、セージ、玉ねぎ等。農民が栽培方法を寺院に請い、薬屋が大量に買い付けた。薬草のほかにスパイスやコショウの薬用食品を売った。
渦巻の紅白ポールが目印の理髪店で瀉血をして悪い体液を流す治療もあった。虫歯になれば抜歯をした。外科医と正式に分離される1745年まで、理髪師の兼業は続いた。

当時の犯罪として窃盗や詐欺、強盗、傷害はもちろん、キリスト教的規範とされる「七大罪」も処罰された。そのひとつが「強欲の戒め」であり、教会は金貸しよりも殺人を犯した貧しい負債者の味方をした。だが、司法官らは富裕層である郷士の主張を重んじた。それを憂いたシェイクスピアが「ベニスの商人」を生み出した。

各国の宮廷では王や貴族が占星術師を雇って吉兆を占わせた。天体現象を始めとして洪水、地震、凶作、暴動、戦争などの事件も予知ができると人々は信じていた。文人たち――シェイクスピアも占星術や錬金術に興味を示していた。
上流階級では終末思想とうつ病が流行し、憂鬱にふさぎ込む若者はインテリの象徴とされた。シェイクスピアのハムレットが当時の青年そのものだった。

セントポール寺院

ロンドンの人々の娯楽と風習

貴族や紳士階級の人々は容易に書籍を買えたが、郷士階級には手が届かなかった。ただエリザベス朝のころから立身出世を願った郷士らが、子弟に教育を与えるようになった。やがて識字率が高まり、日常生活に関する書物が多く出版された。政治、宗教は検閲があったためあまり出版されなかった。
書物の内容は、養蜂と養蚕の手引書、料理、暦法、吉凶占い、天候予測、放血治療の日時、剪定や植樹の方法、狐狩りと鷹狩りの技術、水泳、弓術などなど。大航海時代の影響で算術、地理、羅針盤、天体観測機の扱い方、操船術の入門書、冒険回顧録などもあった。ほかに民謡本、パンフレット(奇怪動物、怪獣、異常な社会現象を伝えた)、騎士物語、古代・中世詩歌が庶民に普及していった。

↑初等教育の教本としてホーンブック(角本)が使われた。板の上部にアルファベット、下部に主の祈りを書いた物が多かった。ホーンブックの取っ手には穴が開いており、授業が終わると教室の壁にかけた。18世紀をすぎると初級本に変わった。

王侯貴族と上流階級は初冬に狐狩りを楽しんだ。野生動物が実った農作物を食い荒らすのを退治したのが始まりだった。
野鳥狩りも古代から楽しまれた。エリザベス女王のあとに即位したジェームズ1世は「ドッタレル(コバシチドリ)狩り」を好んだことで知られた。素手で捕まえて気晴らしをしたという。貧しい人々は食料のために小鳥を捕まえた。当時は焼き鳥がごちそうだった。

合奏曲集やマドリガル(イタリアで発達した多声世俗歌曲)の本が多数出版され、だれもが合唱に参加した。参加しないと恥とまでされた。上流階級では応接間に客用の楽器や音楽の本を置くのが嗜みだった。夕食後は家人と客が合唱を楽しんだ。伴奏はリュートがもっとも好まれ、若者たちは理髪店で恋の歌をうたった。
子どもたちは童謡を歌い、「ロンドン橋落ちた」はエリザベス朝のころすでに広く知られていた。ちなみにマザーグースが出版されたのは1765年である。

シェイクスピア


テムズ川南岸のサザク地区には多くの芝居小屋、酒場、宿場が軒を連ねていた。シェイクスピアで有名な劇場グローブ座と、豪華な宿泊酒屋の白鹿亭が人気だった。
若者は馬上槍試合、牛いじめ、熊いじめ、闘鶏の賭け事に熱中した。ほかには猿の綱渡り、イタリア娘の華麗な綱渡りダンス、カゴに乗せた生卵を両足で急回転させる軽業といった見世物が楽しまれた。
一般庶民らは公設劇場で芝居に興じた。1ペニー支払えば屋根のない土間席で誰でも観劇できたが、ロンドン人口のうちわずか16%ほどにすぎなかった。
初めは宿屋の中庭で演じられ、1576年にシアター座がビショップズゲートにできると、続々と市壁外に劇場が建った。犯罪の温床になるからと市議会が許可をしなかったのである。
1587年にサザク地区にローズ座、スワン座、グローブ座の公設劇場が建った。ようやく市内に劇場が許可されたのはジェームズ王朝になってからだった。

ジェームズ1世


日曜日の午後は野外スポーツを楽しんだ。
弓矢で的を当てる競技、豚の膀胱を膨らませたボールでのフットボール(サッカー)が盛んだった。戦うのは同じ階級同士であり、貴族と市民と農民が競い合うことはなかった。ときには激しいケンカが始まって、試合中止になることがたびたびあった。ほかにはレスリング、水泳、釣り、冬はスケートで氷上に縁日が出た。
室内娯楽はチェス、ドラーフツ(チェッカー)、バックガモン、ダイス、カルタなど。カルタは高価だったので手作りした。
1617年ジェームズ1世は「娯楽の書」を勅令した。地方を視察したとき、日曜日の午後の安息日にスポーツや娯楽を禁じていたのを知ったからである。そのころ国教と清教徒が激しく対立しており、ジェームズ1世はイギリス全土の聖職者に訓令した。
「隣人相集って合法的な野外スポーツを楽しむことは、私の大いなる喜びである。」

ローマ時代から1881年のロンドン

↑ローマ帝国時代から1881年までを塗り分けたロンドン地図。19世紀から一気に街が膨張したのがわかります。エリザベス朝時代のロンドンは中央の狭い赤い面積です。

参考書籍

シェイクスピア時代のイギリス庶民文化小事典
↑16世紀のイギリスの庶民生活や文化についての書籍はあまり見かけないので重宝します。ただし、あくまでも小事典にすぎず、さらに詳細を知りたい場合には少々物足りないかも……。入門書として最適です。


エリザベス [Blu-ray]
↑エリザベス1世の半生。続編にゴールデンエイジ。