科挙~中国王朝時代 超エリート官僚の試験地獄

貢院(郷試の受験会場):引用元
科挙とは?

科挙という語は「(試験)科目による選挙」を意味する。選挙とは~中略~伝統的に官僚へ登用するための手続きをそう呼んでいる。「科目」とは~中略~「進士科」や「明経科」などと呼ばれる受験に必要とされる学識の課程である。北宋朝からはこれらの科目は進士科一本に絞られたが、試験自体はその後も“科挙”と呼ばれ続けた。
Wikipediaより

官僚になるためには、超難関の試験に何度も合格しなくてはなりません。
近代までの中国には、公の教育というものがなかった代わりに、科挙によって官吏登用していました。つまり公が一切民を教育しないため、お金のある人々が息子をこぞって勉強させて出世させていたのです。
その分、庶民にも広く門戸が開かれ、実力があれば出世街道へのチャンスがありました。

科挙のランク:引用元
なぜ科挙が生まれたのか?

科挙が登場したのが隋時代の598年。その後、唐で制度が整えられていき、宋でもっとも隆盛を極めました。
当時、ヨーロッパでは貴族による封建制度だったため、どれだけ文明が進んでいたのかがわかります。
官僚制度によって皇帝の力を絶対的なものにしました。唐までは貴族が力を握っていたため、国がよく分裂して戦争になったのです。
廃止されたのが、清時代の1905年。科挙は1300年以上も続きました。

なぜ科挙を目指すのか?

科挙に合格できれば、裕福な生活と出世が望めます。皇帝に直接仕える官僚~エリートになれるのです。
一度官僚になると、家が三代まで栄えたといわれるほど。その代わり、合格しないといつまでたっても出世の道は閉ざされました。
科挙合格は大変な名誉のため、一族の期待も大きくかかり、なかにはプレッシャーに負けて、発狂や自殺する受験生までいたほどです。

清末時代の科挙の流れ (気が遠くなる合格までの道のり)

清朝時代のお受験:引用元

その一、自宅学習
五歳ごろから男子は自宅で試験勉強。ひたすら「四書五経」を暗記。
女子は役に立たないから「子」の数に入れない。男子のみに門戸が開かれた。

その二、県試
県学(県の学校)に入るための試験を受ける。童試とも呼ばれ、受験者は童生と呼ばれる。15歳以上になると試験が難しくなるため、ほとんどの童生が年齢をごまかして受験する。
まだ写真はもちろん戸籍もない時代だったため、髭が生えてなかったら14歳とみなされたとか。なかには白髪の老童生もいた。
全部で五回あって、最後まで合格するのは大変。ど田舎だと受験者数が少ないから割合簡単に合格できたが、都会だと競争率が高かった。

貢院:引用元

その三、府試
県試に合格した童生たちが府城に集まる。
三回の試験があるが、内容的には県試とあまり変わらず、本当に学力がそなわっているかを再審査する意味合いが強い。

その四、院試
これに合格すれば府学への入学が許可され、生員と呼ばれる。
実際、学校では教育はほとんどされず、ときどき学生としての試験があるだけ。あくまで科挙の受験が許可されたにすぎない。
それでも生員になれただけでもかなりのエリート扱いだから、科挙の受験を諦めて、官吏の私設秘書となる者もいた。それだけ科挙は競争率が高く、お金もかかった。

その五、科試
これに合格すれば郷試を受験できる。
郷試に集う人数が多すぎるため、あらかじめふるい落としておく。

貢院:引用元

その六、郷試
三年に一度開かれる。
省府の首府へ集い、貢院という試験場で、答案用紙に回答を書く。
その貢院には約一畳ほどの広さの房がたくさんあって、受験生たちはそこで試験を受けるのはもちろん、食事用の煮炊きや仮眠もする。扉はなく、持参した布で覆うだけ。机も椅子も板を渡して溝にはめるだけ。
三年に一度しか使用しないから黴臭いし、夜は寒い。数日もそんなとこへ閉じこめられているため、発狂するものがいたほどだった。
ときには雨風が吹くも、房へ入り込むから答案用紙を汚さないよう、必死になった。蝋燭で焦がさないように細心の注意も払った。少しでも原稿に汚損があれば、どんなにすばらしい解答を書いても不合格になるためである。
合格率は受験生一万人のうち百人ほど。これまでの試験地獄をくぐり抜け、なおかつ百人に一人の合格。過酷な競争である。

貢院での試験:引用元サイト消失

↑畳一畳分のスペースで、受験生は答案用紙に向かった。カンニングや試験官への賄賂が横行しており、発覚次第、厳しい処罰が待っていた。最悪、死刑が科せられる。

カンニング豆本:引用元サイト消失

↑中に文字がぎっしり。もし身体検査で見つかったら……ガクブルな世界だったはず。

カンニング下着:引用元サイト消失

↑とっても細かい文字がぴっちり! 遠くから見たら模様に見えるほど。何が何でも合格してやる、という執念の賜物。もしバレたら不合格だけではすまされないけども(下手したら死刑!)、それだけ合格率が低い、過酷な試験地獄を物語る小道具。

その七、挙人覆試
郷試で合格した受験生が本人かどうかの確認のための試験。それだけ替え玉不正が多かった。

その八、会試
郷試の翌年、北京の貢院で開かれる。全部で三回有り、平均点を出して上位三百名が合格。時代によって合格者が違うのは、必要な官吏の数に応じるため。
会試で合格すれば、念願の官吏になることができるが、順位をつけるためさらに試験がある。

科挙の合格発表

その九、殿試
皇帝が直接、開催する試験(あくまでも名目上)。その試験の成績如何で、将来の地位が決定するといっても過言ではない。
一位の成績を修めたものを状元、二位を榜眼、三位を探花と呼ばれる。とくに状元は破格のエリート扱いで、中国の逸話にもよく登場するほど。
順位が低くなるほど官位も低くなっていき、折角、進士になったのに、あまりの処遇の悪さでがっかりする者も多かったそう。
面白いのは会試での成績がよくても、殿試での解答を皇帝が気に入られなければ順位が下がってしまうということ。ゆえに真のエリートは会試の首席と言われていた。

その十、朝考
ようやく最後の試験。殿試での順位はあまりあてにならないから、上位三名をのぞいてまた試験(またか、またか……)。そのときの成績で、翰林院(アカデミー)に入れるかどうかが決まる。
その後、さらに3年間勉強し、卒業試験である散館考試で一位をとった者は、翰林院の編集者になれた。もし入れない場合は、中央官僚、その以下はすぐに地方へ県知事として赴任した。

とても長い道のりだった科挙合格への道。
なかには何十年も試験を受け続けた、齢70の老人進士もいたほど。それだけ当時の中国では、官僚とは、超エリート階級に出世したことを意味し、垂涎の的でした。

武科挙とは?

科挙の武官登用試験のこと。先述した文官登用試験は文科挙。
文科挙ほど重要視されず出世も望めず、叩き上げ軍人のほうがはるかに役に立つという実情があった。

馬騎 – 乗馬した状態から3本の矢を射る。
歩射 – 50歩離れた所から円形の的に向かって5本の矢を射る。
地球 – 高所にある的を乗馬によって打ち落とす。
その他 – 青龍剣の演武や石を持ち上げるなど。
Wikipediaより

武科挙の試験内容。そのあとに兵法のペーパーテストがあった。わりといい加減で、落馬しない限り合格したり、カンニングも大目に見られた。

清朝のエリート
科挙の衰退と廃止

科挙制度の確立により、中国は世界に類をみない教育国家であり続けた。科挙に合格しさえすれば、だれでも政権の中枢に到達できるため、当時の中国教育の中心は科挙のためのものとなり、儒学以外の学問への興味は失われがちだった。また、科挙に合格するための教育が主流であった中国では、学習者はある程度の地位や財力を持つ者に限られた。
Wikipediaより

欧米が近代化するにつれ、中国の科挙制度は時代遅れになってしまいます。一部の特権階級のための学問は、国の発展を阻害しました。
やがて欧米が中国を植民地化しようと、手を伸ばします。アヘン戦争がそのもっともたる出来事。
古い体制を打ち破ろうとしたのが、かの西太后であり、1905年、科挙制度は西太后の命により廃止されました。

宦官~貧乏人が出世を目指す究極の手段

勉強するお金がない、それどころか明日、どうなるかわからない――。貧しい一部の少年たちは、宦官になることで出世する道を選びました。
いわゆる身の回りをお世話する、宮廷使用人です。
宦官になるためには、男性器を切除しなくてはなりません。刀子匠というお上公認の手術者がいました。その時の傷がもとで、亡くなる少年がたくさんいました。

李蓮英

李連英
西太后の晩年まで仕えた宦官(大太監)で、権力を振るい莫大な私服を肥やした。宦官の頂点になった男。

せっかく宦官になっても、皇帝や皇后一族に直接お仕えできるのは一部のみで、あとは家事労働等の裏方です。
おまけに奴隷扱いのため、ひたすら平身低頭です。主人のご機嫌を損ねてしまえば、死刑になることも珍しくありませんでした。
それでも彼らが宦官を目指したのは、出世すれば裕福な生活ができたからです。賄賂等で財産を増やしたあと、晩年を優雅に過ごすのが彼らの夢でした。高級宦官の特権です。
しかしほとんどの下級宦官は、働けなくなったあとは無一文で放り出され、そのまま野垂れ死にしたのでした。

参考文献とおすすめ書籍


科挙 中国の試験地獄 (中公新書)


蒼穹の昴 全4冊合本版 (講談社文庫)
↑科挙と宦官を目指して西太后に使えた主人公の時代小説。清朝の終わりがドラマチックに描写されています。郷試のシーンは「科挙」を参考資料にしていました。


煌如星シリーズ愛蔵版 桃花流水
↑漫画。科挙合格し、県知事として地方へ赴任した若きエリートのミステリー。