わが半生―「満州国」皇帝の自伝〈上〉 (ちくま文庫)
↑2019/7/28現在、絶版のようです。興味があれば、ぜひKindle化をリクエストをクリックしてください。なぜ絶版?というぐらい素晴らしい自伝。
すごく濃い内容。そして波瀾万丈の清国最後の皇帝の人生がみっちりと語られています。
上巻は溥儀が3歳で皇帝となるもその後清が滅び、日本の関東軍とともに満州へ赴くまで。下巻は終戦後、ソ連の捕虜となり、のちに新しい中国へ引き渡され、共産党に思想を「改造」されて特赦を受けるまで。注釈しておきますが、改造は便宜上つけたわけではなく、本書にたびたび出てきた言葉です。
わずか三歳で皇帝となった溥儀は、皇帝として育てられたためとても我儘な少年に成長してしまいます。映画ラストエンペラーでは抑え目に描かれていたけど、実際は臣下を奴隷のような扱いにしたこともたびたび。なかには犬の糞を食べさせられた宦官もいたほど。幼い皇帝はあくまでもいたずらだったのだけども、相手がどう感じるかなどまったく気にしないものだから、周囲は腫れ物扱い。もちろん、命令をうまく断れなかったら、すぐに拷問です。最悪処刑。
そもそも溥儀が皇帝にされたのは、かの悪名高き西太后が権力を握るため。幼い子どもだと後見人として、国を統治できたからです。しかしそんな西太后も、すぐに死去してしまったことにより、清もあっけなく滅びてしまうことに。わずか三年で溥儀は退位しました。
中華民国が優待条件を出したことで、しばらく紫禁城のなかで皇帝として数年、生活をすることになります。その描写が上巻の一番の読みどころ。国は亡くなったというのに、皇帝として扱われるのだから井の中の蛙状態で、溥儀は成長。結婚しても皇后とあまりうまくいかず、小さな行きちがいで娶った側室とも子どもはできませんでした。
のちに側室とは離婚。皇后は若くして亡くなりました。溥儀は身体が虚弱だったらしい。運動をせず飽食していたのが原因だったようだと、人生の終わりに近づいたころに判明するけども。
その反面、弟の溥傑は性格も温厚で賢く、仕方なく政略結婚した日本人の皇族女性とのあいだにも子どもをもうけています。対照的な兄弟像が、まるでフリードリッヒ大王みたい。虚弱な長男皇帝と健康な弟の図が。
しかし復辟(再び玉座を取りもどすこと)を企てたとして、優待もなくなってしまい、溥儀は家族とともに天津疎開へ逃げます。そのとき頼ったのが英国人家庭教師ジョンストン(紫禁城のたそがれの著者)だったのですが、どうも当時のイギリスは溥儀を保護したくなかったらしく(事情は不明)、当時つぎに信頼できそうだった日本をたよることにしました。
その選択が良かったのか悪かったのかは、今でもわかりませんけども、本書のなかではそれが最悪の選択だったのだと、溥儀は何度も下巻で書いています。
当時の関東軍に言葉たくみに騙されるようにして、溥儀は満州へと旅立つことに。だけどまるで夜逃げ同然だったことからして、中華民国はもちろん外国からかなり警戒されていたり、日本のなかでも軍と政府がまとまらなくて危うい状態でした。
そんななかまた皇帝になるのですが、まさしく傀儡。行動の自由はなく、会いたい人にも会えず、軟禁状態にされて、ほぼ日本がわの言いなり。そうしないと命がなくなる、と恐れていたからです。なかでも満州国の統治で大きな失敗だったのは、宗教まで変えさせたこと。のちのち禍根になったのは言うまでもありません。
ただ、終戦後、溥儀とその一家は日本へ逃げるため、軍が手を貸してもいます。もしソ連に捕まらなかったら、まったくちがった人生を送っていたんだろうな、と天津のとき同様、思いました。選択のひとつひとつが、とても重いです。
ソ連では捕虜といっても、お客さま扱いの質素だけど優雅な生活でした。五年後、中国へ帰されることになって、収容所での生活がこれまた波乱そのもの。
新しい共産国として、中国が理想に燃えていたころで、捕虜への扱いも丁寧でした。それがまずびっくり。イメージしていたのとはなんかちがう。
が、だんだんと、かつての皇帝が洗脳……いや、失礼「改造」されていくさまに背筋がうっすら寒くなりましたとも、ええ。つまり、飴と鞭。人道的に扱い、平等をうたいつつ再教育されていくうちに、立派な共産国の労働者に生まれ変わるのです。
集団で「告発と罪の承認」をするのも、自己啓発セミナーに似ているような……。
溥儀たちだけでなく、日本人捕虜も同様。十年もの歳月をかけて改造された彼らは、中共を称えながら特赦で帰国したのはいいのですが、そのあとはどうなったのか。だから当時の中共は、日本人を赦したように見せかけて、すばらしいわが中国の思想を広めようとしたのでしょうね。なるほど、現在でもしっかりその名残りがありますもの。(原爆の平和教育とか、平和教育とか…………汗)
ただ、すっかり改造されて真人間になった溥儀は、主席の温情に大いに感謝しています。そして反日思想がどうやって作られていくのかも、しっかりと本書から読み取ることができました。
そのあと文化大革命が始まったのですが、二年目のさなか溥儀は病死します。絶賛していたはずの中共が、あっけなく自己崩壊寸前するさまを見られず、かえって幸運だったのでしょうか。
そもそも、回想録はすべて本心なのかそうでないのか、定かではありません。
内容がとても濃くて読了するのに時間がかかりましたが、そのぶんとても満足度の高い回想録でした。近代中国や満州国の歴史を知るのにもおすすめです。
完訳 紫禁城の黄昏(上) (祥伝社黄金文庫)
↑2019/7/28現在、絶版のようです。興味があれば、ぜひKindle化をリクエストをクリックしてください。
わが半生―「満州国」皇帝の自伝 上下巻を先に読んでいたのもあり、内容的に目新さはあまりありませんでしたが、帝師(家庭教師)のイギリス人から見た、少年皇帝の素顔を知ることができました。
溥儀自身は「私は我儘に育った」と書いてましたが、ジョンストンはその逆で「皇上は温和で寛大な心を持った賢い少年」と記しています。籠の鳥のごとく、紫禁城から出られなかった皇帝は、外の世界を見聞することを切望していました。
以前から、新聞や雑誌を取り寄せては、国内外の出来事を熱心に知ろうとしていたそうです。そして、帝師ジョンストンがやってきてからは、英語を学び、さらに見聞を広げます。あと、ひどい近眼のために眼鏡を作らせたり(ほかの臣下らは、皇帝の変化をひどく嫌っていたため眼鏡をかける、という思いつきすらしなかったらしい)、自転車を寄越して城内を走らせたり(いつも籠に乗っていたから運動不足)と、皇帝を近代化させることに腐心しました。
臣下らは、あくまでも自分らの食い扶持を守るために、シンボルとしての皇帝を大切にしていたのであって、人間として見ていなかったのですね。しかし、異邦人でしかも当時、最も進んでいたイギリス出身のジョンストンにしてみれば、それらはひどく旧く、不自然に映ったのです。
少年皇帝はお茶目な面もあって、城の屋根に登って写真を撮ったり、偽名で漢詩を投稿したり――いくつもの作品が掲載されたほど、出来栄えが素晴らしかったとか。
だけど、周囲にいる宦官や官吏たちは私腹を肥やすことに腐心しており、こっそり城の宝物を売り飛ばしていたというんだから、日本では考えられません。国宝級の壺や絵画を個人が勝手に持ち出し、帳簿は嘘満載。皇帝だけでなく、皇族は経理等、生活に関する部分は関知しないのが当時の常識だったのも腐敗の原因でした。
以前から臣下らの腐敗ぶりに胸を痛めていた皇帝はジョンストンと、何度もこっそり打ち合わせし、ある日、突然、抜き打ち検査をするということに。
すると深夜、宝物が収められている宮殿が放火に遭い、全焼。結局、財産がどれぐらいあるのか把握できず、悔しい結果に終わりました。
清國が滅び、3歳で廃位した皇帝ですが、中華民国は不安定で、共和国から再び帝国に戻そうという動きがあった時代だったのも意外でした。当時のことを書いた書物は、ほとんどが共和国万歳、という雰囲気たっぷりですから。そのギャップはなんだろうか、と。
とくに皇帝を復位させようと躍起になったのが、張作霖。彼は独特のカリスマの持ち主で、馬賊という出自にも関わらず、満州をまとめます。
しかし、部下である馮玉祥に裏切られ、皇帝は紫禁城を追い出されてしまいます。張作霖の野望はそこで潰えてしまい、後年、体制を立て直すため、満州へ向かう途中に爆殺されたのは有名。
いっぽう、皇帝は信じていた漢民族に裏切られたという思いもあり、外国へ庇護を求めます。しかし、ドイツ、イギリス大使館が良い顔をせず、唯一、一時的に受け入れたのが、日本。
が、日本側も公式ではなく、あくまでも中将の個人的判断にすぎず、天津疎開へ避難しているあいだ、日本側も遠まわしに他国へ庇護を求めるよう、打診していたのが驚きです。
ほかの書物だと、満州国建国の野望のため、溥儀氏を庇護したのだとあるから。(しかしどれが真実かは不明。あくまでも本書での話)
なんかそのあたりがどろどろしていて、元皇帝の扱いに困っていたのはどこも同じだったようです。国際問題に深く首を突っ込みたくなかったのでしょう。
皇帝が満州へ帰郷した三年後、引退したジョンストンは故郷で亡くなるのですが、最期まで皇帝との厚い友情は変わらなかったというエピソードが、彼の人柄をよく表しているな、と思いました。
ラストエンペラー [Blu-ray]
↑両作品が原作の映画。