19世紀パリの娼婦1~メゾン・クローズとシャバネ、ワン・トゥー・トゥー

ロートレック
ロートレック画
メゾン・クローズが生まれた背景

メゾン・クローズ(閉じられた家)あるいはメゾン・ド・トレランス(認可の家)が生まれた背景には、性病――とくに梅毒が蔓延したことが要因です。
梅毒に罹患した妊婦から生まれた子供は死亡率が高く、成長したとしても心身に異常が多いために、フランスの少子化につながった、と当時の学者たちは思っていました。
だからといって、婚外交渉を禁止することや、娼家を規制しても根絶するのは現実的ではありません。需要があるから供給があるのです。

そこで、近代的な管理売春制度を公衆衛生学者デュシャトレ博士が推し進めます。売春問題に取り組んだ博士の調査で、娼婦になる女たちの特徴が明らかになると、根絶は難しいと判断したためでした。
低所得層の少女らは貧困で家庭環境が悪く、奢侈に憧れてきれいな服や花、美味しい食事、トランプ等の博打に刺激を求まるあまり、手軽に多く稼げる娼婦へ転落したのです。

こうして、娼婦たちを行政が管理して娼館の中で囲ってしまえば、性病を外に出すことなく街の衛生を保てる、といった原理でメゾン・ド・クローズは生まれました。定期的に性病の検診が義務付けられます。
公認公娼=安全を証明された娼婦を相手に、男たちが安心して買春できる空間が、19世紀前半、突如フランスに現れます。

娼婦の食事風景
メゾン・クローズの裏方で働く人々

女将
 ……条件は25歳以上の「元公娼」であること。過去に犯罪歴がないこと。経営者補助の「正式な夫」がいること。元公娼である理由。警察条例に従って当局に登録した娼婦であり、性病を蔓延させないための職務を立派に果たせる法の遵守と忠誠を誓った「良い娼婦」であるため。公娼に登録する際、宣誓書にサインをしたことで、警察に拘束された意味を持つ。

スカウトマン(周旋屋)
 ……女将の夫や愛人(ヒモ)がスカウトマンを兼任していることが多かった。ふだんは物資調達や警察との交渉をしており、娼婦の移動の季節があったり、欠員補充が生じたときに地方や外国へスカウト旅行をした。スカウトは直接娼婦へ声をかけるのではなく、メゾン・クローズの経営者同士で交換をした。パリ等の大都市だと娼婦の入れ替えが激しいため、メゾン・クローズ網の仲介業者を利用した。

女中(メイド)
 ……元娼婦がメゾン・クローズに雇われた裏方。病気や加齢で娼婦としてやっていけなくなった女だけでなく、男にうんざりしたレズビアンや、娼婦家業が割に合わないと思った女がいた。ほかに働く場所がなく、貧しいかつての娼婦らは女中になるしかなかった。

スカウト女
 ……何も知らない素人娘を、娼婦の道に引きずりこんだやり手な元娼婦。田舎から仕事を探しにやってきた娘が困窮しているのを見つけると、親身なフリをしながら「娼婦仲介業者」へ連れて行った。出没場所は、小間物屋(ブティック)、ホテル、家具付き下宿、乗合馬車の発着場等。のちに性病施療院。ここならば、梅毒を治療中の娼婦だけでなく、恋人から性病を移された女たちがいた。

サロンでの接待
メゾン・クローズの娼婦の一日

娼婦たちは住み込みで働きました。囲い込み、性病の外に持ち出さないためです。
外出は月に二度の休日しか許されず、ドレスや下着、化粧品、食べ物といった買い物は全て女将が支給します。それはデパートの3~4倍ほどの値段がしました。いくら客を取って稼いでも、娼婦たちの手元にはあまり残りませんでした。

最後の客が帰って掃除が終わり、一日の稼ぎの精算が終わる明け方、ようやく娼婦たちは眠りにつきます。屋根裏部屋にずらりと並ぶベッドは鉄パイプ製で硬く、ひとつのベッドに二人で寝ました。
午前11時。女将に起こされ、階下の食堂で朝食を食べます。食後はおしゃべりや、針仕事と編み物、新聞を読みました。

午後四時になると、化粧を始めます。順番に入浴し、美容師――客以外の唯一の男性に娼婦たちは歓声で出迎え、髪をセットします。カールやつけ毛、染毛は別料金でした。
次に今夜の下着とドレスを女将が選び、午後六時、おいしい晩餐をとりました。一日で一番の楽しみで、食事がまずいと娼婦たちは店に居着かないため、女将は気を使ったといいます。
ドレスに着替えた娼婦たちは、こうして今夜の客を待ち構えるのでした。

シャバネの玄関ホール
高級メゾン・クローズと鼻下長(変態)紳士たち

高級店は、かつて王侯貴族や大ブルジョワが住んでいた邸宅を改造した建物を利用しました。一見すると娼館には見えません。
非日常を演出するため、玄関扉は大きく分厚くし、内装は神秘的。訪れた紳士客は、迷路のような通路をメイドに案内され階段を上がり、踊り場にある小さなサロンで、しばらく待たされます。お忍びで訪れた客同士の鉢合わせを避けるための配慮でした。

その後、副女将にサービス料を告げられ、いよいよ娼婦たちのいる大サロンへ足を踏み入れます。
娼婦たちは全裸で、あるいはガータベルト、靴下、パンプス、ブーツだけを身に着け、ソファーで寝そべったまま、無言で客を見つめながらみだらなポーズを取って、自分を選ぶよう誘いました。
そこでは女を選ぶ前に、(市販よりかなり高価な)酒を振る舞いながらおしゃべりとお触りを楽しむことができます。いわゆるキャバクラ。懐が寂しかったり、ベッドインしないままで満足な客は、指名をせず店を出ます。
ようやく、鼻下長紳士は相手の女を選ぶと、大きなベッドのある豪華絢爛な上階の個室へ入っていくのでした。

当時、有名だった高級メゾン・クローズに「シャバネ」と「ワン・トゥー・トゥー」があります。

シャバネ

シャバネ
……シャバネ通りにあった店。あまりにも有名になったので、シャバネそのものが「乱痴気騒ぎ、売春宿」という意味を持つようになったほど。パリの観光コースに組み入れられ、拝観料は50フランと高額。
1900年のパリ万博で日本風の部屋が金賞を受賞した。ほかにイギリス国王風、インド風、ペルシア風、エジプト風、中国風、ロシア風、中世風、ナポレオン三世風、ルイ15世風等など……の部屋があった。1904年に高等遊民の日本人がシャバネを訪れた記録と、昭和5年のルポライターが日本ルームを見学した描写が残っている。その部屋は日本人から見ると、あまりにも非日本的でがっかりした、とある。
有名人がよくお忍びでシャバネに遊びに来ており、皇太子時代の英国王エドワード七世もそのひとりだった。ボンベイルームがお気に入りで、娼婦と一緒にシャンパン風呂を楽しんだという。

ワン・トゥー・トゥー

ワン・トゥー・トゥー
 ……第一次世界大戦後に登場した新興高級クローズ・メゾン。プロヴァンス通り122番地にあった。新ゴシック様式が主流だった高級クローズ・メゾンを、アール・デコのモダンなデザインにして衛生的なトイレとビデを備えつけた。
客たちに好評だったのは、現代的なファンタジー部屋を容易したこと。ブルー・トレインの豪華な寝台だったり、大西洋横断豪華客船の客室だったり、アフリカ原住民の小屋を模した部屋もあった。各部屋には、ボーイや車掌がついて、まるで現地にいるかのような居心地を味わえた。
ワン・トゥー・トゥーを有名にしたのは、娼婦目的ではない一般客も入れる、一階の三ツ星レストラン「ブッフ・ア・ラ・フィセル」。男性だけでなく女性客でも入れた。給仕をしたのは、裸に白いエプロン姿のウェイトレスたち。喜劇王チャップリンやマレーネ・ディートリッヒも訪れたほどの当時のトレンドスポットだった。

レストラン ブッフ・ア・ラ・フィセル

その他に有名な高級メゾン・クローズとして――ムラン、アノーブル、モンティヨン等があります。どれも通りの名前ですが、スファンクスだけは違いました。表向き「アメリカン・バー」として開店し、娼婦のいる2階と3階へは1階の居酒屋から行き来ができないように工夫されていました。
メゾン・クローズは一見で娼館と分かるような店名を出すことは禁じられており、通りや番地の名で商売をする決まりがありました。スファンクスはそこをうまくくぐり抜けたメゾン・クローズだったのです。

スファンクス

1920年代から1930年代にメゾン・クローズは黄金期を迎えます。
普通の性交だけでは物足りなくなった変態紳士たちのために、鞭打ちの拷問部屋や、赤ん坊や馬、犬になりきった客を相手にする部屋がありました。自分の葬儀を行う客、自分を裁縫してもらいたい客、ハイヒールで踏みつけられたい客等など、さまざまなニーズに応えます。
観察をしたい客のために、娼婦と客、娼婦同士(レズビアン)の性交を壁の覗き穴から見る仕掛けがありました。娼婦がお仕置きとして鞭で打たれるSMショーも人気がありました。

大戦が勃発し、パリがドイツ軍に占領されると、高級メゾン・クローズはドイツ軍の客で大変繁盛します。しかし、戦後の1946年にメゾン・クローズの閉鎖法案が国会で可決され、メゾン・クローズの歴史は幕を閉じました。

シャバネ
格安メゾン・クローズ

高級店との大きな違いは客層が労働者であること、キャバクラ的なサービスがなく、ひたすら娼婦たちは客の性欲処理だけをしたことです。とてもハードな仕事だったようで、一日に40人から、多い時は70人もの客を相手にしました。
歩合制だったため、数をこなすしかなかったのです。一人あたりの料金は格安で、報酬もわずかでした。
ある娼婦は120人も相手をしたといい、彼女らは暴力的なヒモのためにひたすら稼ぐしかなった、という証言が残っています。

ワン・トゥー・トゥー
娼婦の自由と恋愛

毎夜、鼻下長紳士の相手をしているうちに、娼婦たちは男のすさまじい性欲と乱暴さに嫌気がさします。愛のないそれは、心をからからに乾かすだけでした。
そんな彼女たちは、「金銭のやりとりを必要としない恋人」を求めます。
月に二度しかない休日に恋人とパリの郊外を散歩しながらデートを楽しみますが、その恋人は金持ち紳士ではありません。労働者の若者や兵士、貧乏学生たちです。始めは純粋な恋人だった彼らと長く付き合ううち、女の稼ぎをあてにするヒモになってしまいます。
それでも娼婦たちは別れようとしません。ヒモとなった恋人にひたすら貢ぎます。娼婦にとって、金を払って自分を買う男でないことが、とてもとても重要だったからです。これが真実の愛、だと錯覚したのでしょう。

シャバネ

男そのものが嫌になってしまった娼婦のなかには、レズビアンに走る者が少なくありませんでした。メゾン・クローズは同性愛者の温床だと、当時から言われているほどです。
相手は同業者の娼婦で、ベテランの娼婦がまだ経験の浅い若い娼婦を誘うのが常でした。
女同士の関係こそ、男女のような損得勘定のない真実の愛、だと信じたのでしょう。彼女たちは互いを愛撫しながら、慰めあったといいます。


19世紀パリの娼婦2~愛の幻想と高級娼婦

参考文献


パリ、娼婦の館 メゾン・クローズ (角川ソフィア文庫)
↑当記事で紹介した以外にも、たくさんの娼婦と客のエピソードが詰め込まれています。ブログに書けなかったような内容も盛りだくさん。


パリ、娼婦の街 シャン=ゼリゼ (角川ソフィア文庫)
↑紹介しきれなかったエピソードがいっぱい。日本からパリへ渡航した変態紳士エピソードもあります。いい仕事してますなーと、鹿島氏が褒めたほど(笑)

関連書籍

鼻下長紳士回顧録 上巻 (コルク)
↑メゾン・クローズを舞台にした安野モヨコの漫画。


ナナ (新潮文庫)
↑高級娼婦となったナナの豪快で破滅的な人生。フィクションですが、ゾラは丹念に取材をし、実在した高級娼婦(ナナのモデル)の生活をリアルに書いています。


居酒屋 (新潮文庫)
↑いかにして貧しい少女ナナは、高級娼婦への道を歩みだしたのかを書いた作品。