フランス革命の死刑執行人1


かつてフランスの都市には、世襲制の死刑執行人がいました。そのなかでひときわ有名なのが、「ムッシュ・ド・パリ」と呼ばれたシャルル=アンリ・サンソンです。
サンソン家四代目の彼は、たまたまフランス革命時に死刑執行役人だったために、フランス国王ルイ十六世を処刑しました。
王を崇拝していたシャルル=アンリは、国の命令だったとはいえ王をギロチンにかけたことを、生涯苦悩したといいます。

死刑執行人の家族と生活

処刑人は親から息子へと引き継がれる職業でした。そして、最下層の賎民でもありました。
当時、処刑は公開されており、首を括り、首をはね、鞭を打ち、火あぶりされ、手足に杭を打たれる罪人の姿に、人々は恐れ、サンソン家を忌み嫌ったのです。
公共の施設である学校や病院を使うことはできませんでした。商店まで物をなかなか売ってもらえず、買い物にも苦労しました。処刑人一族は、庶民と隔離された生活をしていたのです。

初代サンソンはパリの都会に嫌気がさし、郊外に屋敷を構えます。仕事場から離れることで、サンソン家は優雅な生活をします。
処刑人といえども、国の役人。だから、徴税の権利があったのですが、商人たちから根強い反発があったため、三代目以降は国が年俸を与えます。その額、1万6千リーブル。
当時、労働者の年収がだいたい400リーブルだといいますから、かなりの高給取りです。徴税していたころは、さらに多く、2万~4万リーブルもありました。

年俸が減ったものの、サンソン家は医業で収入を増やします。初代から評判で、庶民だけでなく、貴族も密かに治療に訪れたといいます。
処刑したあと、埋葬するまで引き取り手のない死体を解剖し、医学のために人体の構造を記録しました。もっとも死に近い職業がゆえに、命を救う医学にも長けていたのです。
普段は忌み嫌われているサンソン家でしたが、人々を治療することで、罪深い職業への救いを求めていたのかもしれません。

年収が貴族並だったことで、賎民のサンソン家が上流階級のような生活をしていたのも、パラドックスそのものです。
四代目シャルル=アンリは狩猟が好きで、余暇があれば森で獣を狩ってすごしました。庶民ではまずできない遊びです。
その反面、貧しい者には施しを行い、パンを配りました。治療費もほとんど取らなかったといいます。そのぶん、お金持ちからはたくさん請求しました。

どんなに裕福になろうとも、処刑人は処刑人。結婚は国内にいる同業者の家同士でした。
ただ、初代サンソンは処刑人の娘と恋に落ち、結婚したことで、処刑人になります。彼の職業は連隊の中尉――軍人でした。

恋に落ちた初代とマルグリット

初代であるシャルル・サンソンはサンソン家の次男でした。同居していたいとこのコロンブと恋仲になっていたのですが、伯父によってシャルルの兄と結婚させられました。傷心のあまりシャルルは、海の向こうにあるカナダの植民地軍なります。
しかし忘れることができないまま数年たったある日、兄が死亡し、コロンブが家を追い出されたのを知ります。帰国したおり、彼女と再会できたのですが、故郷へ向かう途中、突然の嵐にあってコロンブが死んでしまいました。
もし嵐に遭遇しなかったら、シャルルはコロンブと結婚し、サンソン家は歴史に名を刻むことはなかったでしょう。まさしく運命のドラマです。

シャルルは命をとりとめたのですが、そのとき看病してくれたのが、のちに結婚するマルグリットでした。とても美しい娘で、ひと目で恋したのですが、告白をしても涙を浮かべながら拒絶するだけ……。
そして恋のライバルが登場し、マルグリットへの夜這いを阻止するのですが、守ったはずのシャルルまで、誘惑に負けてしまったのです。
そのときはまだ、マルグリットが処刑人の娘だとは知りませんでした。

マルグリットがどこかの男と結ばれたと感づいた父親が、編み上げ靴という器具で娘を拷問し、相手の名を聞き出そうとします。
それを知ったシャルルは、自ら処刑人である親方のもとで嘆願し、マルグリットとの結婚を許してもらいました。処刑人となるという条件と引き換えに。

シャルルは忌まわしい処刑人としてではなく、一家で外国へ移住しよう、と提案するのですが、親方は断固反対します。なぜなら、子供たちが別の職業に就いたら、処刑人だった父親を蔑むからです。
初代だけでなく、次代以降のサンソン家の子供たちは、処刑人になるしかありませんでした。別の商売をしようとしても、素性が知られたとたん、迫害されて商売にならないからです。
長男がパリの処刑人――ムッシュ・ド・パリになり、次男以降は地方の処刑人になりました。娘たちは処刑人の妻として結婚します。


1.サンソン家と死刑執行人

2.シャルル=アンリの苦悩とギロチンの誕生

3.フランス革命と国王の処刑