フリードリヒ大王5~人間関係

❡ フリードリヒと女性

ヴィルヘルミーネ

フリードリヒ大王と最も仲が良かった姉。リュートの演奏をし、文学的影響を弟に与えた。
ブランデンブルク=バイロイト辺境伯に嫁ぐも、夫の不貞に悩み、愛人を外国人と結婚させようとするも、弟フリードリヒに反対される。
一度、不仲になった姉弟だが、その後、ヴィルヘルミーネは弟のために政治活動を行い、プロイセンを助けようとする。
そんな姉の姿にフリードリヒは感謝したという。
姉が亡き後、大王は宮殿にヴィルヘルミーネの胸像を建てて、ときおり話しかけたという。

「跪いてお願いします。この病から逃れるために、あなたのできることを、どうか何でもしてください。
医者の指示に黙って従い、薬を飲んでください。
あなたが亡くなったら、私はこの世で一番悲しい人間になってしまうということを、考えてください。」

引用元:フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣 (中公新書)

ヴィルヘルミーネが亡くなる二日前の、フリードリヒの叫び。

エリーザベト・クリスティーネ

ブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン公の娘で、プロイセン王妃。フリードリッヒの妻。
形だけの結婚で、皇太子時代にかろうじてあった交流も、戦争をきっかけになくなった。大王は王妃と別居し、その離宮には一度しか足を踏み入れなかった。
七年戦争が終わり、数年ぶりに再開した大王が彼女に言ったセリフ。
「マダムは少しお太りになったようだ」

妻として悲しい境遇のエリーザベトだったが、現実を受け入れ、フリードリヒを慕っていた。
フリードリッヒが亡くなったとき、だれよりも悲しんだという。

ポンパドゥール夫人

ルイ15世の公妾。才気ある彼女は、王の愛人という地位を利用し、政治に干渉した。
七年戦争ではロシアのエリザヴェータ女帝とマリア・テレジア女帝と手を組んだことで知られる。
彼女たちは、女を卑下するフリードリッヒ大王をひどく嫌っていたという。

フリードリヒ大王はポンパドゥール夫人に賄賂を贈ってフランスの戦争企図を再考するよう求めたが、この試みは失敗に終わった。

引用元:戦闘技術の歴史3 近世編

1757年。敵対するオーストリアがフランス軍と同盟を結んだことで、包囲されてしまうプロイセン軍。
窮地に立たされたフリードリヒ大王だが、ポンパドゥール夫人は冷たかった。
ひどい女嫌いで有名だった大王の賄賂など受け取るわけがない(笑)

マリア・テレジア

神聖ローマ帝国・オーストリアの女帝。マリー・アントワネットの母親。
フリードリッヒ大王との縁談も持ち上がったが、ロレーヌ公子フランツと恋仲になり結婚。
もし女嫌いの大王と、才気煥発な女帝が夫婦になったら、歴史は大きく異なっていたにちがいない!
オーストリアとプロイセンがどうなるのか想像もつかない(笑)

“マリア・テレジアはそのフリードリヒとかいう泥棒に激しい憎悪を抱く。
穢れを知らぬ清純な乙女が、プロイセンの冷笑家を心底から憎む。そして生涯憎み続ける。復讐を誓う。”

引用元:ハプスブルク家 (講談社現代新書)

泥棒の意味は、大王がオーストリア領シュレージエンを奪取したこと。

彼はオーストリア女王のことを、どうせただの小娘さ、くらいにしか思っていなかった。彼女がたて続けに女の児ばかりを三人も産んだのを皮肉って、いかにも軽蔑げにいったものだ。
「オーストリアはスカートしかはけない」
……中略……フリードリヒはマリア・テレジアのことを尻軽な小娘くらいに軽蔑していたのがとんでもない誤りだったことを、次第に悟らざるをえなくなった。
……中略……両者は後世に語り継がれる好敵手となった。

引用元:ハプスブルク家 (講談社現代新書)

女嫌いだったフリードリヒ大王は、エリザヴェータ女帝やポンパドゥール夫人にも同じ失敗をしている。
相手を見くびったものの、才気ある彼女たち(三枚のペチコート同盟と呼ばれる)にしっぺ返しを食らうのである。

エリザヴェータ

ピョートル大帝の娘でロシア女帝。
父親の大帝は当時のロシアでは斬新な思想をもった皇帝で、数多の改革をし、ロシアを近代化に導いた。

❡ フリードリヒの弟

アウグスト・ヴィルヘルム

兄フリードリヒから、凡庸、と呼ばれた弟。後継者になるも、兄より先に亡くなった。
アウグストの息子、フリードリヒ・ヴィルヘルム二世が後継者になる。
彼もまた女好きで凡庸な人物だった。

……しかしこの弟と甥の存在がなければ、プロイセン王家の後継者はなかったのだから、子孫を残した功績者である。

ハインリヒ

フリードリヒの影と呼ばれた弟。
兄以上に同性愛者の傾向が強く、政略結婚をしたものの、まったく妻に愛情を持てなかった。当然、子供もできなかった。
兄フリードリヒに似ており、優秀だったが、大王である兄の存在が大きいあまり、影に甘んじることに苦悩していたという。

❡ フリードリヒの崇拝者

ヨーゼフ二世

神聖ローマ帝国皇帝。マリア・テレジアが母。共同統治を行う。
母亡き後、単独で帝国を統治するも、啓蒙思想――理想が先走りしてしまい、強引な改革に貴族たちが大反発。挫折に終わった。
母の憎きライバルであった、フリードリヒ大王を信奉し、大王の啓蒙思想に傾倒したことで知られる。
しかし、バイエルン継承戦争では大王と敵対し、マリア・テレジアが和議に苦心した。
肖像画の左人物は弟のレオポルド。

“我が子が、あの化け物のような王と親しく言葉を交わすなんて! 彼女には信じ難い、理解できない耐え難いことだった。
だが、フリードリヒ王は是非ともこれを望み、また若い皇帝も乗り気だった。そしてこの対談で狡猾な王は、それとなく「ポーランドという甘いお菓子」をつまみ食いしてはどうかと、言葉巧みに話をもちだしていた。
……中略……テレーゼの良心の葛藤など、およそ理解しようとしないフリードリヒは、冷笑していう。
「彼女は泣きながらも、受け取る!」”

引用元:ハプスブルク家 (講談社現代新書)

マリア・テレジアの即位したばかりの息子、ヨーゼフ皇帝とフリードリヒ大王の会談、1772年第一次ポーランド分割。
テレジアは最後までポーランド分割に反対したが、息子、大王、ロシアのエリザベータ女帝らに押され、泣く泣く批准書にサインしたという。

2枚目図はフリードリヒ大王とヨーゼフ二世の感動(?)の会合シーン。
まだ純情で若いヨーゼフ二世。その友情を利用するフリードリヒ大王は本当に老獪だったのか、それとも内心はヨーゼフを好いていたのかは謎である。

ピョートル三世

ロシア皇帝。エリザヴェータ女帝の甥。
ホルシュタイン=ゴットルプ公だったのもあり、ドイツ語を好んで話した。プロイセン贔屓のあまり、ロシア貴族や妻のエカテリーナとたびたび衝突した。
性的不能も加わり、妻エカテリーナとは冷えきった仲だった。愛人がいたため、女嫌いではなかったよう。

彼(ピョートル三世)は指輪に崇拝するプロシャ国王の肖像をはめこんで、感に堪えぬとでもいうように熱烈に接吻する。
身につけた勲章はただひとつ、プロシャの黒鷲である。
……中略……「御命令とあらばわたしの帝国を全部ひきつれた地獄までもお伴して、ご一緒に戦いますってね!」

引用元:女帝エカテリーナ 上 改版 中公文庫

ロシアの女帝、後のエカテリーナ二世の夫であるピョートル三世は、フリードリヒ大王を異常なまでに崇拝していた。
オーストリアと同盟を結んでいたロシアの裏切りによって、大王は七年戦争の絶体絶命の窮地から逃れることができた。

ピョートルはまだ満足できずに、今度はプロシャの軍紀と、こともあろうにプロシャ軍の制服をおのれの軍隊に押し付けようとする。
……中略……兵士にプロシャ人の制服を強いることは、皇帝が彼らに侮辱を加えることに等しい。
さらに「フリードリヒの軍紀」に従うことを強要すれば、彼は戸惑うばかりである。

引用元:女帝エカテリーナ 上 改版 中公文庫

どこまでフリードリヒ大王が好きなんだ(笑)、というピョートル三世のエピソード。
皇后のエカテリーナに暗殺(真偽は不明)されるのも仕方ないかな、というほどの暗愚な皇帝……。

❡ フリードリヒの友人

ヴォルテール

王太子時代からの文通相手だったが、宮殿で共に過ごすようになると、わずか数ヶ月で強烈な個性の両者は仲たがいする。
哲学者ヴォルテールは金銭沙汰の問題を起こし、大王は怒る。和解するも、またヴォルテールの中傷によって、決裂する。

プロイセンを去るヴォルテールに大王は「私の詩集を返せ」と迫る。それは大王が書いた詩集で、あまりの凡庸な出来に仲間内でしか配布しなかった代物だった。
ヴォルテールがその詩集を、他の社交界で暴露するのを恐れていたのである。
つまり、中二病満載の僕が作った恥ずかしい同人誌を返せ、と(笑)

晩年に和解。

当ページ 参考書籍


1.先代以前

2.王太子時代

3.七年戦争

4.啓蒙君主

5.人間関係

6.その他