フリードリヒ大王3~七年戦争

七年戦争

七年戦争の始まり

ポンパドゥール夫人の活躍により、マリア・テレジアとロシア女帝エリザヴェータは同盟を組む。シュレージエンを奪還し、フリードリヒを倒すために。
オーストリアだけでなくフランスとロシアまで敵に回した大王は、先制攻撃とばかりにザクセンに侵攻する。
1756年、七年戦争の始まりだった。

1757年 ロスバッハの戦い

フリードリヒ大王指揮のプロイセン軍約22,000が、ヨーゼフ・フォン・ザクセン=ヒルトブルクハウゼン及びスービーズ公シャルル・ド・ロアンが指揮する
約55,000のオーストリア・ザクセン・フランス連合軍に勝利した。ひと月後に発生するロイテンの戦いとあわせて軍事史上注目される戦いである。
※ウィキペディアより引用

※参考図版

1.スビーズとヒルトブルクハオゼンの軍は縦隊でプロイセン軍左翼を回り込んで進み、前衛を担う大規模な騎兵部隊がそれを先導する。
2.自軍の側面が危険にさらされていると知ったフリードリヒ大王は、自軍をヤヌス丘へと移動させ、連合軍の縦隊を砲撃するため、丘の上に重砲を配備する。
3.プロイセンの騎兵隊を率いたザイドリッツ将軍が、連合軍前衛部隊の前進を阻止し、蹴散らす。
4.ザイドリッツは騎兵の体制を立て直し、側面行軍の隊形で連合軍右翼へと回り込む。
5.プロイセンの歩兵隊がヤヌス丘を下り、いまだ行軍隊形にあるフランス軍歩兵を攻撃する。どうにか攻撃隊形を組んだ一部の部隊も、プロイセン軍の一斉射撃によって粉砕される。
6.ザイドリッツの騎兵がフランス軍側面に現れて攻撃をしかけ、残存していたフランス軍を潰走させる。

引用:戦闘技術の歴史3 近世編

1757年 ロイテンの戦い

1757年11月5日のロスバッハの戦いにおいて西方からの脅威を減じさせたプロイセン軍は、オーストリア軍を撃破するため間髪いれずシュレージエンに移動した。そのころシュレージェンでは、ダウンの後見の下に皇弟カール公子率いるオーストリア軍が、
ブレスラウの戦いに勝利してシュレージエン防衛を任されていたブラウンシュヴァイク=ベーヴェルン公を捕虜とし、ブレスラウを制圧した。
そのすぐ後にブレスラウ近郊に到着したフリードリヒ大王軍は、ベーヴェルン軍の残存部隊を収容の後、オーストリア軍に決戦を求めた。
※ウィキペディアより引用

参考図版

1.フリードリヒは、見事な統制を誇る部隊の行進と低い丘陵の影を活用して、自軍のほとんどをオーストリア軍の左翼へと移動させる。
2.フリードリヒは、陽動作戦の役割を担わせるため、小規模な歩兵部隊と騎兵部隊を、敵から見える位置に残す
3.オーストリア軍の司令官たちは、陽動作戦用の部隊を見て、それがフリードリヒの主力軍だと思い込み、それに対峙させるべく予備軍への移動命令まで出した。
4.プロイセン軍の突撃部隊は、帝国陸軍のドイツ兵部隊の一部と激しい火戦を繰り広げ、圧勝する。
5.プロイセン軍主力部隊は攻撃を続けながらロイテンに迫っていく。オーストリア軍は、プロイセン軍の側面攻撃に対応すべく隊列の向きを変えようとするが、その途上で撃破されてしまう。
6.大敗を喫したオーストリア軍は、夜の闇にまぎれて撤退する。

引用:戦闘技術の歴史3 近世編

1759年 クーネルスドルフの戦い

1757年、ロスバッハとロイテンの戦いで勝利をおさめるが、1759年クーネルスドルフで敗北する。
その時大王は、敵の銃弾が上着を打ち抜き、乗馬は二頭倒れ、危うく三度も捕虜になりかけた。
1759年クーネルスドルフの戦いで敗走するフリードリヒ大王。

「今、この手紙を書いている間にも、味方はどんどん逃げている。私は、もう、プロイセン軍の主人ではない。ベルリンでは何とか守りぬいてくれることだろう。もう助かるすべはない。全ては失われた、と私は思う。祖国の没落を見ずに私は死んでいくだろう。永久に、アデュー!」

引用:フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣 (中公新書)

 

1760年 トールガウの戦い

その後、激しい戦いだったトールガウでかろうじて勝利するも、その後は敗退の一途を辿った。
首都ベルリンが敵兵に囲まれ陥落寸前。
1761年、ゆいいつの友好国だったイギリスからも援助を打ち切られ、さらに大王は孤立する。不利な講和を結ぼうとしない大王に呆れたのだ。
絶体絶命の大王は、自害用の阿片を用意したほど追い詰められていた。
「私は祖国の荒廃する姿を見てまで生き残ろうとは思わない」

意外な終結

あわや敗北――とだれもが思ったころ、奇跡が起きる。女帝エリザヴェータが崩御し、甥のピョートル三世が即位したのだ。ピョートルはフリードリヒ大王の崇拝者であり、皇帝になると即、プロイセンと平和条約を結んだ。
ロシア軍が撤退すると、スウェーデン軍も去り、プロイセン軍はオーストリア軍に勝利する。
1763年、ザクセンのフーベルトトゥスブルクで平和条約が結ばれ、戦争は終結した。
国力を使い果たした戦争は、開戦前の国境にもどったが、プロイセンだけはシュレージエンを失わなかった。

無謀だった七年戦争が終わった時、王は書いた。「私はロバのように灰色になった。毎日歯が一本ずつ抜けていき、痛風で体は麻痺状態だ。」プロイセンの国だけでなく、王の肉体もボロボロになっていたのである。

引用:フリードリヒ大王 啓蒙君主のペンと剣 (中公新書)

1754年と1763年の肖像画を比べると、かなり老け込んだのがわかる。

参謀総長フリードリヒのエピソード

歩兵は、防御のためには火力を頼んでも、攻撃には銃剣をふるう……わが軍の威力は攻撃のなかでこそ発揮される。
正統な理由なく攻勢を放棄するのは愚かと言うべきであろう。
フリードリヒ大王
軍事指示書

引用:戦闘技術の歴史3 近世編

攻める戦い方を好んだフリードリヒ大王。

兵士たちには、肝に銘じて、号令がかかるまでは発泡しないようにさせることだ……
連隊長たちは、こういう小隊射撃が整然とおこなわれるための監督責任を果たさねばならない。
フリードリヒ大王
軍事指示書

引用:戦闘技術の歴史3 近世編

フリードリヒ大王は絶対的な規律を重んじた。

指揮官は慎重に身を処してもなお、不運な状況に見舞われる可能性がある……天候や収穫の多寡、将校の状況、兵士の健康状態、不注意による失敗……自軍の密偵の発覚……そして裏切り。
こうしたことに常に目を光らせて備えを怠らぬようにすれば、幸運のときにもそれに眩惑されることはないだろう。
フリードリヒ大王
軍事指示書

引用:戦闘技術の歴史3 近世編

プロイセン軍は周辺諸国から徴兵という名の、人さらいによってできた兵士たちなのもあり、脱走兵が大きな悩みの種だった。
嫌々ながらの戦闘を厳しい懲罰によって遂行させた、鞭の軍隊の一面を持っていた。

 

自陣がすでに危険にさらされ、オーストリア軍の前衛騎兵が自軍の左翼と後衛に側面から直進していることを知ると、大王は騎兵指揮官のフォン・ザイドリッツ将軍に、騎兵の全部隊を率いて敵の進軍を阻止するよう命じた。
プロイセン軍のこの再展開の動きを見ると、決然としたリーダーシップがいかに重要であるか、また、危機敵局面にも迅速に対応できる、訓練の行き届いた職業的軍隊を持つことがいかに有利であるかがよくわかる。

引用:戦闘技術の歴史3 近世編

ロスバッハの戦いにおけるフリードリヒ大王を、著者が評価した一文。
なにより卓越したリーダーシップを持っているのが指揮官フリードリッヒの大きな強みだった。

フリードリッヒ二世のようなケチな支配者が、他国によって奪われたかもしれない金を、本国から持ちだそうとしたであろうと想像するのは、単に十八世紀を誤解するだけではない。
戦争という残忍野蛮な仕事そのものを誤解するだけである。

引用:補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)

現地徴発(いわゆる略奪)が基本だった十八世紀の戦争に、兵站を用いたのがフリードリヒ大王。
長期に渡る包囲戦で勝利できたのも、兵站を重視したため。徴発だと一箇所に長く留まれなかった。
「ケチな支配者」という表現がなかなか辛辣。

 

フリードリヒ自身がかれの将軍たちに言っている。「しかし、水上交通の有利さは決して無視されてはならない。
なぜなら、その便宜がなければ、いかなる軍隊も十分な補給はうけられないからだ」

引用:戦争の世界史—技術と軍隊と社会

補給に重点を置いたフリードリヒ大王。18世紀の制限戦争に勝利するためには必要不可欠。

フリードリッヒ大王が1747年の『将軍への訓令』への中で共感を示した見解であった。
「戦争の最高の極意そして有能な軍人名人芸は、敵を飢えさせることである。
飢えは勇気よりも確実に兵を消耗させ、戦闘によるよりも少ない危険で成功するであろう。
しかし、戦争が倉庫の占領で終わることは極めて稀であり、事態は大きな戦争でのみ決せられるから、この目的を達成することは全力を振るうことである。」

引用:ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)

兵站の重要性を説いた一文。

 

「戦闘は戦争によってのみ決せられ、戦闘による以外では終わらせられない。
かくして戦闘を戦闘を行わなければならないが、それは時宜を得たものであり、またあらゆる点で諸官の側が有利でなければならない。
……得られる好機は、敵を供給から遮断する時であり、また有利な地形を選ぶ時である。」
これらの引用は、18世紀の戦略の性格と問題と目標を、かなり的確に示している。

引用:ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)

フリードリッヒ大王の将軍への訓令より。

 

当ページ 参考書籍


1.先代以前

2.王太子時代

3.七年戦争

4.啓蒙君主

5.人間関係

6.その他