西太后の美しさの秘訣~悪女というよりおばちゃんパワー炸裂

紫禁城
紫禁城:Forbidden City FHKE | Flickr

はじめに

悪女として非常に名高い西太后ですが、調べてみると、その実態はおしゃれとグルメ大好きなおばちゃんでした。
とくに彼女がこだわった若返り(アンチエイジング)の美容と食事を紹介します。

西太后とはどのような人物だったのか

西太后 慈禧太后(じきたいこう)

悪女として歴史的に名高い西太后だが、そのじつ、とても女性らしい面を持っていた。
とくにこだわったのが現在でいう「アンチ・エイジング」。若返りである。
皇帝である夫も息子も頼りにならず、仕方なく代わりに政治(垂簾聴政)をしたのだが、巨大な清を統治するには、健康であることが必要だった。
美貌のみならず、大きな決断力を保つ頭脳も。
そんな西太后は、あらゆる若返り術を試みていたという。
平均年齢が40歳という時代、彼女は74歳まで生きて政治を行った。
そんななかから、西太后の人となりとともにいくつかを紹介。

経歴(ウィキペディアより引用)

せいたいこう【西太后 X? tai hou】 1835‐1908

中国,清末の同治・光緒年間(1862‐1908)の最高権力者。咸豊帝の妃,同治帝の母。満州族,エホナラ氏の出。1852年(咸豊2)咸豊帝の後宮に入り,56年皇子載淳を生んだ。61年咸豊帝が死ぬと載淳が即位し,年号が祺祥と改められ,彼女は皇帝の生母として慈禧太后と尊称されたが,同年11月恭親王奕?(えききん)と組んで宮廷クーデタを起こして先帝の寵臣を処刑し,年号を同治と改め,先帝の皇后であった慈安太后とともに垂簾聴政を始めた。

同治帝・光緒帝(徳宗)の摂政となって政治を独占。変法自強運動を弾圧して光緒帝を幽閉、義和団事件を利用して列強に宣戦するなど守旧派の中心となった。

光緒帝の死の翌日,光緒34年10月22日溥儀(ふぎ)を次の皇帝ときめて死去。74歳。

西太后はなぜ若返り美容にこだわったのか

西太后は俗称。紫禁城の西の宮殿に住む皇后、という意味。
満州・旗人(?藍旗人)の葉赫那拉(エホナラ)氏の出身。
どこで生まれたのか明らかになっておらず、記録に残っていない。
近代化以前の中国は、それだけ極端な男尊女卑社会であった。
元は貧しい漢民族の農村の出身で、二度、身売りされた、という説もあるが、真偽は不明。

「選秀女」(后妃選定制度)で18歳の時、皇帝に選ばれ、見事、妃になる。
若かりしころの西太后は、それだけ美貌の持ち主であったという。

政治では男勝りだったが、私生活は文化的な楽しみを充実させていた。
いわゆるおしゃれと美味しいものが大好きなおばちゃんパワーそのもの。

皇帝の后や太后として悠々と暮らすことが、彼女の理想であった。

しかし、実際は自分で政治を執り、ストレスのあまり肌に黒い血の斑点ができたり、抜け毛がひどかったほど。

若さを保つため、西太后はあらゆる美容と健康法を試みていた。
西太后は70歳当時でも、まるで40代のような肌と髪を持っていたという。

西太后と外国公使夫人たち

義和団事件(1900年)当時、排外主義者だった西太后だが、一転して「改革解放」で西洋の文明を取り入れる政策(変法新政)を始めた、1903年ごろの写真。

当時、世界は帝国主義であり、諸外国と渡り合えるだけの政治力を持っているのは、西太后だけだった。

少しでも長く清を存続させようと、躍起だったのである。

浅田次郎氏 「西太后は悪女でなく、血の通った女性だった。」

政治家の冷酷無情は世の常で、西太后が策略をめぐらし、冷酷無情であったのは、多くの場合そうせざるを得なかったからだと思います。
西太后と中国歴代王朝の皇帝と比較しても、彼女のやり方が他の皇帝に比べ、より残忍ということはない。
…中略…
西太后自身は非常に保守的な女性で、自分の夫や子供が政治的にたいした活躍をできなかったので、仕方なく自分がすだれの向こうで政治を行った。
実際に、彼女は女性が政治に参加するのをとても嫌がっています。
「蒼穹の昴」でおしんが西太后に変身_中国網_日本語

イギリス人のエドモンド・バックハウスの著作「西太后治下の中国」が、西太后の悪評を世界中に広めたようです。

西太后の美容と化粧

美顔ローラー

玉石でできた美顔ローラー。肌の血行と新陳代謝を促がすため、暇を見つけては顔をマッサージしたという。


画像引用元:精美!西太后の日常生活用品を公開_中国網_日本語

玉容散

肌に吹き出物が多く、痙攣もあった西太后は、玉容散を好んで塗った。雀の尿、雄鷹の糞、雄鳩の糞で作った美容液。


画像引用元が消失のためリンク無し。台湾。

高麗人蔘

肌に塗り、しゃぶって頭脳の若さを保とうとした。

母乳

若さを保つため、毎朝母乳を飲んだ。宮中には母乳を提供する女官が5人いたという。

珍珠粉 (真珠の粉)

美肌効果のために飲んだ。かのクレオパトラも愛飲していたことで知られている。

香髪散と菊花散

元々、満州族の女性は髪をほとんど洗わなかったが、西太后の髪が脂症だったことで、シャンプーを始めた。
9種類の菊オイルが入ったシャンプーが菊花散。整髪料が香髪散で、薔薇と白檀のオイルが配合され、白髪を防いだ。


画像引用元:菊花散洗髮皂 – Lemonleaf中華圏では現在でも天然系シャンプーとして使われているようです。リンク先参照。

化粧

それまでは薄化粧が主流だったが、西太后が濃い化粧を始めたことでそれが広まった。
昼間は太い眉と赤い口紅、顔にはクリーム。就寝時は米粉と香草でできたファンデーションを顔や首、胸にたっぷりと塗った。

西太后の食事

贅沢三昧として知られる西太后だが、実際の食事は簡素だったよう。
それでも毎日、何百皿も作らせたのは、余った料理を女官や宦官に分け与え、彼らに忠誠を誓わせるためだった。
西太后をはじめ皇族が豪華な食事をすることで、揺るぎない権威を下々へ示したのである。

宮廷での日々の食事

西太后は料理にこだわった。そのポイントを紹介。
・様々な食材、栄養素をバランス良く摂る。肉、野菜、魚。
・一日の食事で五味(甘味、塩辛さ、酸味、苦味、辛味)を摂る
・味付けは薄味が基本
前菜では20種のおかずを用意させ、午餐と晩餐では100種類以上のごちそうが並んだ。
宮廷料理人は侍医と相談しながら、医食同源のメニューを作成したという。

画像引用元:満漢全席 – Wikipedia

ライチ

かの楊貴妃が玄宗皇帝に南方から長安まで運ばせた果物。
ビタミンCが豊富で、ミネラルや妊婦にかかせない葉酸が含まれていた。新陳代謝を活発にさせ、皮膚を丈夫に保った。

胡桃(クルミ)

脳や神経を活発にするリン脂質を含んでいる。腎臓や関節を若返らせると言われていた。
西太后はクルミ汁にしてよく飲んでいたという。政治的手腕を発揮するため、必要不可欠な食材。

阿膠(アキョウ・ロバのニカワ)

いわゆる和漢コラーゲン。楊貴妃もこれを食べて若さを保ったという一説がある。西太后はアキョウで流産を防いだという。

画像引用元:阿膠 – Wikipedia

豊胸クッキー・豊胸茶

豊胸クッキーの別名『慈禧玉女豊胸酥』。慈禧=西太后。ピーナッツ、大豆、紅棗と枸杞子を粉にし、水で捏ねて焼いた菓子。

お茶は黄蓍(きばなおおぎ) と紅棗を煎じた。

北京ダック

1894年西太后の60歳の誕生日に孔子第76代孔令貽が献上したことで、西太后の好物になった。
アヒルには鉄分、ビタミン、善玉コレステロールが多く含まれている。コラーゲンたっぷり豚足も好んで食べた。

棗(なつめ)

中国では現在でも健康食として好まれる果物。一日七粒のナツメは医者いらずと言われている。ミネラルが多く、増血効果がある。

蓮の実

中国、台湾では実を月餅の餡にし、取り除いた芯を蓮芯茶として飲む。鎮静、滋養強壮作用がある。

白きくらげ

甘味デザートにして食べていた。食物繊維、カルシウム、亜鉛が含まれ、ヒアルロン酸以上の保水力がある。

火鍋

いわゆる羊肉のしゃぶしゃぶ。女性が身体を冷やすのは良くないといわれ、西太后はいつも温かい料理を食べていた。菊花火鍋が好物だったという。

画像引用元:精美!西太后の日常生活用品を公開_中国網_日本語

大雅斎の黄色の碗

黄色は清の皇帝しか使えなかった貴色。西太后はじめ清朝皇族はこのような食器で食事をした。

画像引用元:精美!西太后の日常生活用品を公開_中国網_日本語

西太后の趣味

趣味でストレスを発散するのも、健康の秘訣。西太后はマニア級京劇大好きおばちゃん。

京劇

代々、中国の皇帝は芝居好き。とくに夫の咸豊帝は、政治を弟の恭親王に任せ、毎日、死ぬまで観劇に明け暮れたほどだという。

浅田次郎の小説「蒼穹の昴」では、宦官である少年春児が、京劇役者として西太后の御前で芝居をし、彼女に気に入られたのが出世街道の始まり。

画像引用元:「蒼穹の昴」で西太后付きの春児を演じた余少群

花が大好きだった西太后。
宮廷には菊、蓮、白木蓮など数千の鉢が並び、食卓ではバラやジャスミン、キンモクセイなどの花びらが料理を彩っていたという。
入浴には野ばらの石鹸、化粧水にはスイカズラやバラの花のエキスを配合。お茶には四季折々の花びらを浮かべて飲んでいた。

水煙管(キセル)

いわゆる水タバコ。写真は西太后が愛用していた水煙管。

画像引用元:精美!西太后の日常生活用品を公開_中国網_日本語

西太后の古写真

ネットで見つけた貴重な西太后の写真。

西太后慈禧は自らを観音様に扮し、右側は太監の李蓮英

西太后慈禧の行幸の行列

左から。母親(フランス人)、徳齢、西太后、妹の容齢

※徳齢姉妹は西太后に仕えた女官。

参考文献


西太后 大清帝国最後の光芒 (中公新書)


蒼穹の昴 (講談社文庫)